さわら

ソロモンの偽証 前篇・事件のさわらのレビュー・感想・評価

3.0
Filmarks試写会にて。原作未読。
裁判を扱う映画といえば、『十二人の怒れる男』『情婦』(これ好き!)『評決』、邦画なら周防監督『それでもぼくはやってない』でしょうか。多々作品はあれど、それでも学校内裁判という稀有な設定は今まで見ないものであり、原作の妙というべき。
そもそも裁判というものは“言葉の格闘技”であり、そう考えると『百円の恋』にも通ずるところはあると思った。だけど、「私の前にはこの道しかないの!」という妙な悲壮感・閉塞感がこの映画にはないし、それに個人的に身体性を帯びた戦いのもつ昂揚感も皆無。残念なところ。
二部作の前篇が大きなモノローグ的役割を担ってしまうことは仕方がないのかもしれない。しかし、それでもなお映画を観せ切る魅力があったかと言われれば、とても怪しいところ(“ゴッドファーザー”シリーズ、1作目の素晴らしさよ‼︎)。物語は知人に「口先だけの偽善者」と言われた藤野の心的葛藤を中心に展開する。心に渦巻く根源的な悩み。正義とは、悪とは、友人とは、いじめとは、親とは、マスコミとは、真実とは、裁判とは。悩みを募らせる藤野の、眉の下がった困り顔はなかなか素晴らしかった(元からの幸薄顔!)。でも藤野が決断を下してからの展開は、些か話が安直に進み、なんだかなーって感じだった。それと、クラスの子供たちが過度にデフォルメされ過ぎていて、普段から中学生と接することの多い僕から見ると、非現実過ぎる印象。
脇を固めるキャスト、特にブルーハーツに酔狂する母を演じた永作博美が素晴らし過ぎるのなんのって。『八日目の蝉』から成島監督と相性がいいんだろうね。前篇ラストの締め方とか、もう最高過ぎて濡れた(見どころ)!
とにかく、正直今回は前篇だしどうのこうの言える状態じゃないよね。ただ後篇の予告、裁判場面を観る限り胸熱展開が多々ありそうだし、その前知識として観ればよいのでは(あまり期待せずに)。安易なヒューマンドラマに落ち着かず、事件や罪や真実が真に昇華される、壮大なラストを切に願っていますよ、成島監督。

@丸の内ピカデリー