垂直落下式サミング

プロミスト・ランドの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

プロミスト・ランド(2012年製作の映画)
4.5
昔ながらの農場以外はほとんど何もない田舎町のマッキンリーに、大手エネルギー会社の幹部候補マット・デイモンがやってきた。その土地には良質なシェールガスが埋まっているため、さっさと安値で土地の掘削権を手に入れるのがミッションだ。
野心家エリート大勝負。どうやら穏便にことを済ませたいらしいが、地元民から想定外の反発に合ったことで、シドロモドロになってしまう地上げ屋のあんちゃん。有望な青年が予期せぬトラブルに直面し、はじめて大きな壁にぶつかったことで仕事に対する信念や情熱が揺るがされ、人生の決断を迫られるさまが描かれている。
「おどれさっさと権利書よこさんかい!」と、派手な柄のジャケットを着たやくざ風の男が、小市民たちに凄んでみせるのは、吉本新喜劇のイメージ。本来は、粘り強く何回も交渉に出向いて契約にこぎ着けるのが営業職の苦心である。
対抗勢力として出てくるのは、学校の理科教師と環境活動家。VS町の賢者は、話せば話すほどボロが出てシドロモドロになって、用意周到に迎え撃つ反対意見にやられてしまう。頭でっかち男が、相手の理論を打ち負かそうとするあまりみずから墓穴を掘っていくのは、議論が目的化して足元を掬われる最たる例だ。
そんで、途中から出てくる環境保護団体の手回しあんちゃんはエミリー・ブラントの旦那さん。町を救いに来たエコロジーマンとして頑張っているが絶妙な胡散臭さを振り撒いており、案の定コイツの正体が糞だし癪にさわる。飄々と絡んでくるのがサスペンスフルで、やや気色悪いのがよかった。
この計画に加担しなければ、生活すら立ち行かなくなってしまうアメリカ農村地帯の現状を憂いながら、そこに共感を見出だしていく主人公。彼は都会で成功を願う典型的な故郷を捨てた白人男性だが、身綺麗なスーツなんかを着ているよりも、小汚ないバーカウンターで騒いでいるほうが似合っていた。
追い詰められたマット・デイモンが、地元民に絡まれて本音を口走ってしまう。この町は死んでいる、ここにいるとみんな徐々に死んでいく、なぜ君らは抜け出そうとしないんだ、と。確かに、それは正しい。
ゆっくりと劣化してダメになっていく田舎町、心を殺しながら人生を出世に捧げてしまう自分、ふたつは鏡合わせの構造だ。
貧しさと閉塞にあえぐ住民たちの虚無感と同じものを共有する主人公だからこそ、仕事を遂行するほどに彼等を裏切り続けてしまう後ろめたさが両肩に重くのし掛かって、暗く沈んだ悲壮をまとえる。いいもうけ話に上手く乗ったと、先走ってスポーツカーを買ってしまったバカをみたときのやるせなさなんて、ちょっと僕だったら耐えられない。
よりよい選択とは、必ずしも正しさじゃない。いい人ばかりじゃないけど、悪い人ばかりでもない。人の世ってのは、もっとまだらにできていて、実は自分が見えていない選択肢がもっとたくさんある。それでも、誰からも意思の力を奪うことはできないんだと、そういう救いをみてしまった。
『グッド・ウィル・ハンティング』と同じくマット・デイモンが脚本に参加しているためか、こちらでも「選択するとはなにか」をテーマとしていて、台詞の端々にもユーモアが効いている。
なかなかいい映画だ。ガス・ヴァン・サントは、けっこう一筋縄にはいかない部類の作家なのに、全体としては手堅くベーシックに仕上げてくる職人性もあわせ持つため、こういうところが油断ならない。