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ミニオンズのaのネタバレレビュー・内容・結末

ミニオンズ(2015年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

・本作は、ディズニーまたはピクサー以外のアニメーション映画としては、初めて全世界で10億ドル以上の興行収入を達成したそう。本作オープニングクレジットのロゴをミニオンが吹き替えで担当しているところからすでに、ミニオンというアイコンがいかに稼ぎ柱であるかということが伺えた。実際、この頃からミニオンをデザインしたテーマパーク施設や各種グッズが爆発的に増加しており、今のティーンに与えた影響は甚大だ。


・また、さらに本作は、予算1億ドル未満から10億ドル以上の興行収入を達成した唯一の映画としても知られている。通常、映画において予算と興行収入との間に10倍以上の利益を生むことはほぼ不可能であるのだが、それをメガヒット作において行っているのは、端的に言って恐ろしいことである(直近の映画だと、ディズニー社ですらそのような映画は『アベンジャーズ』シリーズ以外に輩出していない)。


・本作において一瞬登場する、ミニオンズがオーストラリアから日本への綱渡りを行う描写について、他の国々でのバージョンでの上映場所に合わせたものが用意されており、例えばインド、中国、イタリア等大体の国を網羅するような作りとなっている。このような観客を楽しませるための地道な営業や気配りをしっかりと行っているのが、このシリーズが多くの観客に見られるポイントなのだそると、つくづく思う。


・ロンドンのシーンで、王冠を守る警備員達の左にいるキャラクターは、映画公開当時の英国首相であるデイビッド・キャメロンにそっくりらしい。


・ロンドンの消火栓はアメリカや日本同様赤いものだが、英国にあるすべての消火栓は、「H」のマークのついた黄色の排水管カバーに覆われており、さらに歩道にはそれらが標識付きでどこからでも見えるようにマーキングされているおかげで、とてもわかりやすい構造になっているらしい。本作でもそれが確認できる。


・本作は、予告の段階から、ミニオンズの一人であるケビンがタワーの警備員に股間を殴られるものの、痛みを感じないことが示唆されている(本編ではもっと長くそれらが強調されている)。マスコットやぬいぐるみ、ひいてはキャラクターという概念に(男女を問わず)性器があるか無いかという話題は、英語圏ではとてもポピュラーな議題の一つであり、その有無こそが人間の主体性の有無とそのまま対応する、という解釈がなされている(この点、『バービー』(2023)という作品ではさらに深く掘り下げている。特にバービー人形は20世紀後半にこの議論の槍玉にあげられ社会問題となったため、現在のバービー人形は下着がモデル自体にプリントされている)。


・さらに言えば、マスコットやぬいぐるみという存在そのものが、特にアメリカ国内やハリウッドではかなり敏感な話題の一つにされることが多い(一応解説すると、アメリカ合衆国は建国するにあたって、複数民族を統一する許可を貰う代わりに、自由意思と個人主義を徹底することを国民に対して約束した(合衆国憲法1条、2条)という経緯から、どの概念に対しても自由意思を重視する考えが徹底されている。ゆえにマスコットという存在は、自由意思の有無という議論上その折衝点になりうる。『トイ・ストーリー4』も、主題としてはその部分に訴求しているように思う)。このような理由から、上の予告はそれらをパロディとして利用したジョークらしい。


・ちなみに、自由意思が「物」にも当然に宿っているというのは、まさに神道における「万物には神が宿っている(八百万の神)」とする土着信仰そのもの(反対に、アメリカ的な意思決定理論においては「物」と「人」との境目が重視され、マスコットや人形はどちらかと言えば「人」の部類だ)なので、マスコットの扱いが日本のアニメーションに限って異常に上手なのは、参拝文化や地鎮祭等を通じてその理論がより馴染み深いからであろう(もちろん、八百万文化はたまたま自然発生しただけであり、本当にマスコットに神道的な思想が精通しているわけでは絶対にない点には注意すべきではあるが)。


・「テリカマシ」(ありがとう)、「ケマリ」(おいで)、「ヤンムリア」(殿下)など、ミニオン語の一部はインドネシア語から取られている。本作では特に英語の「OK」やそのほか完全分に近い形でミニオンズがしゃべっているのが目立ったように思う。


(・その他にも、本作にはシリーズ他作よろしく例によって小ネタが大量に存在するのですが、(ビートルズのアートワーク、ニクソン大統領のポスター等の超有名どころを除くと)基本的にはすべてが英語圏のTVショーで用いられてパロディなので、特に日本語圏の人たちには伝わらず、小ネタとして掲載できるものはほとんどありませんでした。残念!)


(・以下感想です!)


・ミニオンズの単位時間あたりに動くという面白さ、そして作品としての見どころに尽きないという部分は、相変わらずずっと続いており、どこを切り取っても、誰が見てもその動きに何らかの感想を持たざるを得ないくらい素早くジョークを飛ばしているのは、やはり見ていて気持ちいい。ミニオンのメガネやそのフレームの素材、着ているツナギやコート等その造形も場所毎によって解釈し直されているのは恐ろしく芸が細かく(リトル・グリーンメンが毎回着替えしているみたい)、特にこのシリーズはアートワークが飛び抜けてファッショナブルだ。『トイ・ストーリー』の前半部分をずっと見させてくれる感覚に近い、映画の面白さとしての手本がある。


・加えて本作では、ミニオンズという賑やかしの前日譚ということで、もはやストーリーラインというのは存在しないと言っても過言ではなく、その代わりのこれでもかというほどパロディネタを飛ばすという方面にすべてを振った作りになっており、この振り切りも思い切りがあって素晴らしい。思い切りの良い映画には無条件で満点を与えています。


・1作目からの80年代ガジェット的なおもしろさもそのまま続投されており、例えば怪盗の飛行船という部分が靴の形になっている部分それ自体が1作目から本作までずっとフィーチャーされていたり、スイッチが常に古めかしい(ウルトラマンやゴジラのような古き良きガジェット時代を彷彿とさせる)スイッチだらけだったりするのは、もはやスタジオのセンスとしか言えないほど卓越したユーモアセンスがあるように思う。


・考察。実は本作の最後の最後にグルートが王冠を掻っ攫ってエンディングに入る、というのも大変に計算されていると感じます。というのも、シリーズモノの映画において期待されているのは「知っているキャラが顔を見せる」ということに終始する(終始してしまう)ことで、大多数の観客はそれが見たいがために『アベンジャーズ』がここまでヒットし、他にも様々なコンテンツが「シリーズ」として売られて行くのですが、しかしその部分を重視し過ぎると、映画単体としての物語性や、そのユーモアというのがどうしても破壊されてしまう傾向が強いです。


・つまり、シリーズをどこまで継続させるかという問題は、「映画の面白さ」と「資本の回収(シリーズ性)」との対立点=折衝点でもあるわけで、例えば00年代前半や20年代初頭のディズニーは、時のCEO自身が後者を優先する旨はっきり打ち出していた以上、シリーズ物が続々と打ち出される反面面白い作品を排出できなくなるのは当然の証左でもあるのですが、それを本作は、最後にグルートが今までの物語をすべて掻っ攫って「盗む」ことで、後者を解決させつつグルートのキャラも立たせ、自己紹介も行う(一番悪いやつについていくというミニオンズの伏線も回収する)という、凄まじく計算された構造になっているのです!


・顔見せが一番上がるという観客の心理を丁寧に利用しつつ、それも飛行船が思い切り空で変形するという映像の面白さ込みで大々的に行ってくれるので、特に最後のオチは目を見張るものがありました。これがサラッとできるのは傑作としか言いようがないです。


・総評。フリークスやアイコニックな存在というのが賑やかに画面を飾るのはどの映画にも必要なことだと思っているのですが、まさかその部分のみにフィーチャーする作品をそのまま作り、そしてそれがメガヒットというのは、社会現象として今まででは考えもつかないことだし、そこには明らかに、既存のマーケティングを超えた面白さの追求があるように思いました。確かにメッセージ性はほぼ皆無(一応グルートが最後に王室の戴冠式を破壊してしまう、というのは最後スペクタクルになりうる部分ではありますが、本作には前日譚を超えた主題と呼ぶべきものがありません)だし、これを見たからと言って何かしらの教訓や心に残るものがあるかと言えるものは得られるか難しい(特に本作は、英国王室の戴冠式という制度をそのまま流用しているので、世界観そのものを可愛いミニオンズが徹底的に茶化しにいくという独特の文法があります)のですが、しかし特定のメッセージ性を無くし、あくまで徹底したミニオンズのおもしろムービーに注力することこそ実はとても難しく、普通であればそれらは監督や配給会社、スタジオ等のプライドや意向によって簡単に握りつぶされてしまう試みなので、そこらへんにもスタジオのセンスをひとえに感じるのでした。「ずっと見ていたい」という思いを叶えてくれたような一作。いつ見てもおすすめです。
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