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インポート、エクスポートのTnTのレビュー・感想・評価

インポート、エクスポート(2007年製作の映画)
4.2
 寒々しい景色、冷めたユーモア、ドキュメンタリーに近いほど自然体な人物像。一見カウリスマキっぽくも感じるが、今作品の監督を賞賛する人物がジョン・ウォーターズ、ミヒャエル・ハネケなどの鬼畜系ばかりが名を連ねていることから、その異質さがわかる。ウルリヒ・ザイドル監督の冷徹な目線がここにはある。

 「インポート・エクスポート」つまり輸入と輸出。物語はウクライナの女性オルガがオーストリアに行く話と、オーストリアの男性ポールがウクライナに行く話である。この二人は最後まで出会うことがない。ただ交互に語られて行くのみなのだ。ではこの物語がつまり何が言いたいのかと言うと、片一方が何かを求めて向かう先は、すでに誰かが去った土地であるということ。この、まるでどこに行っても彼らが変わることはないと言いたげに。しかし、ただあっちこっち行く物語がここまで魅力的なのはなぜだろうか。偏にそれはその自然体な物語の運びである。

 オルガもポールも、全く先が読めない方向に向かう。先の展開どころか、次のカットがどこでかかるかもわからない。カットがかかるとシーンも全く飛んでしまっていて、編集によってかろうじて一つの流れに繋ぎとめられているに過ぎない。それは、どうやら監督が率先してその場のアドリブやドキュメントを脚本に取り込む制作スタイルだからだろう。だから、そのシーンごとの接続は弱いのだが、人生とはそこまで思い通りいかない、予期せぬ方向に行くというリアリティがある。また、彼ら二人の物語がクロスカットで描かれるのだが、次のシーンがオルガなのかポールなのかはわからない。しばし接続の弱さで見る体力を削がれてしまうが、次のカットが気になってついつい見てしまう。

 ドキュメンタリーに近い手法が多くあり、おそらくゲリラであろうシーンやその場に合わせて即興的なシナリオ設定があるように思える。それはカメラを不自然に見る一般市民が映っていたり、また演出ではありえない生々しさが随所に見られる。カメラもかなりハンディで撮られている。しかし時折ビシッと被写体を正面から捉える構図が非常に鮮烈。それらは左右対称で、しかし平面的。さながら宗教画的な崇高さを垣間見れる。

 ただ、その宗教的とも思えるようなその構図の中で、人物はかなりその内実を暴かれている。その構図が用いられるのは本来そうした宗教画からは遠い題材、例えばオンラインセックスをする女性であったり、介護施設での老いた人々であったりする。宗教画にならなかった人々を、そうした構図に落とし込むとき、新たな神話が生まれるのか、人々の営みのグロテスクさが浮き彫りになるのか、新たなユーモアなのか。非常に自分の倫理、ある種の神話が壊される。それゆえに今作品のカメラのあり方は、撮る行為の暴力性を改めて再認識させる。また、霊安室で明らかに浮いた存在感を放つ十字架からも、キリスト教への懐疑が伺える(wikiによると監督は「厳格なキリスト教徒の家で司祭になることを期待されて育った」という・・・)。

 セックスワーカー。今作品のセックスの描写は倫理を超えた笑いを誘ってくる。オルガが貧しさゆえにたどり着いたオンラインセックスの仕事は、相手がネットを通して対話する。しかし、その言語圏が英語であり、ウクライナ出身のオルガは応答できない。そのすれ違いの滑稽さ、人間の欲望の可笑しさがここにはある。また、ポールの父が引き連れて来た娼婦も、またもや言語が違うことで上手く応答できない。そもそも性的な関係が対等であることが可能だろうか(こうしたテーマをゴダールが何度も題材にしてきたように)。今作品はフェミニストが見たら怒りそうというレビューも多いが(ポールの父の女性蔑視)、むしろ男が優位に立とうとしては挫けるあたり、そうした男性像を批判的に見ていると思う。反対に、このポールという主人公がかなり理性的で、不良に絡まれても非暴力をつらぬき、女性を蔑んだりしない(そもそも関わろうとしてない節はあるが)、ある意味敬虔なまでの立ち位置なのだ(金は借りまくるけれど笑)。

 貧困問題。ウクライナあたりにさしかかったポールが通る団地みたいなところのスラム感、よく撮ったなという感じ。まさにその景色がなんのフィルターも通さない地獄としてある。欧州でもこんな光景があるんだなと驚いた。監督が貧困をテーマの一つとして取り上げたのも必然だろう。そして、貧困に懲りた主人公たちが行く先も貧困しかない。この行きづまり感。

 優しさと無愛想。オルガは優しさゆえに仕事場で何かと恨みを買い、しまいに職を失ったりする。ポールは根は真面目だがその無愛想ゆえに職や人に愛想つかされている。そんな二人の最後のカット、オルガは笑い合い皆でいるカットで幕を閉め、対してポールは一人で歩く背中が映し出される。二人は、結局変わらないのだが、ある意味一貫した生き様でカットが終わるのが救いだった気がする。

 介護施設。むき出しの死の匂いが、失礼だがめちゃくちゃ漂っている。老婆が家に帰してと嘆いたり、明らかに支離滅裂なことを言ったり、またふと真理をついたり。オムツを取り替えるところもカメラに収められている(直視してよいのかと倫理が揺らぐ)。この介護施設の中の演出とドキュメントのバランスは絶妙すぎた。ラストカットを閉めたあの老婆の「くさい・・・死・・・死・・・」という言葉は、演出なのか、それとも本当に言っていた言葉なのか。おそらく、演出として「死」と言わせることはあざとすぎるし、たぶん本当にそういう口癖があって、それをラストカットに持って来たのだろう。

 今作品全編見渡して、そもそも生きることが辛く虚しいものでしかないように感じる(訴えというより諦め)。別に治安が悪くて命が危ないわけではない。1日1日の労働と休息の絶え間無さに人間味が失われていく。この不毛さと虚しさが、彼らの人生にずっと陰りを残している。ブラックアウトした画面には、老婆の「死」という言葉だけが残るのだった。
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