ねぎおSTOPWAR

複製された男のねぎおSTOPWARのレビュー・感想・評価

複製された男(2013年製作の映画)
5.0
監督が「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴで主演が「ナイトクロウラー」のジェイク・ギレンホールという名前に惹かれて鑑賞。

・・なんだと!?これは体力いる作品だぞ!もう一度見直し!
ってことで、町山智弘氏の解説なども一切見ない状態で一度書きます。
その下に解説あさってからの解釈。

【二回観て・・】
まず率直な感想。→勝負されてる感ハンパなく、大好きです。ぜひぜひみなさんにも観てほしい!!もし「観ようかな」と思っていただけたら、これ以降読まないでください。



<これ以降は完璧に内容を話しています。読みたい人だけ読んでください>












「蜘蛛」がキーなんですが、街中を映しているようで、電線が配置されるんですよ、車のドアの映り込みも含め。この暗喩見事です。車の事故のシーンも、割れた窓が蜘蛛の巣状にひびが入っています。
ギレンホールが二人のシーンもCGで解決せず、上手なカメラワークで処理。好感です。


さて、
邦題「複製された男」っていうくらいなので昔の傷さえ同一の二人が存在。過去に会ったことはない。となると「母は?」って話だが、冒頭の電話の伝言「アダム・・フラフラ気ままに生きるのじゃなくて・・」というセリフと、アダムと会ってるときの「歴史の先生の仕事はいいわ(要約)」というセリフが矛盾する。プラス、会話すべて映ってないのですが、母がアンソニーを「三流役者」って言うんですが、「なぜ知ってるの?」と思えます。合理的な答えは《母が、アダムとアンソニーを間違えた》でしょう。母が同一である理由は、ブルーベリーが健康にいいと言われている点と写真。
そして一卵性で傷口まで同一とはあまりにも過ぎるので何らかの理由が推測される。
《母は蜘蛛軍団の仲間》なんでしょうか?ブルーベリー無農薬で育てると蜘蛛が寄ってきます。蜘蛛だから子供にブルーベリー勧める?そう仮定すると冒頭の秘密の集まりはある種、蜘蛛を礼賛する会かと。観客は全員男性で、薄着をまとった女性たちがいったい何をしているのかは映像でも見えません。本物の蜘蛛の上にヒールを向けたところで終わります。
また、夢の中でその廊下を歩く顔だけ蜘蛛女が登場しますが、アダムの夢なのかアンソニーの夢なのかは判明しません。
アダムの彼女との関係性と、アンソニーの妊娠してる妻(本物の妊婦なのでシャワーシーンなども男性には圧巻!)との関係性も説明は非常に少ない。この二人とも事前に何かを知っていたことはなさそう。
アンソニーの妻が劇中過去の浮気っぽいことに言及しており、言うからには意味あり?あるとすればアダムとアンソニーの入れ替わりはアンソニーの発案であり、鏡の前でそのセリフを練習するシーンがあるので計画性を感じる。ではなぜそこまでして?導き出されるのは《アンソニーが蜘蛛組織のために使える女ハンティング説》。最後アダムの彼女を車から落とそうとしますが、それは射精に至らなかった、途中でばれて拒否されたからでは。奥さんも妊娠したから怒られないだけで、本気で心配されていない。だから本気で心配しているアダムの様子から入れ替わってると気づくわけですからね。つまり蜘蛛を生ませるためにアンソニーはチャンスをうかがっていたと。

・・実は、そうすると、冒頭の秘密の集まりで、全裸の女性が声を出しているところ(感じている声とはちょっと違う)が少し映るんですが、あれ蜘蛛を出産でもしていたんじゃないかという想像も成り立つんですよね。
そしてラストもラスト、入れ替わった翌朝、アンソニーの妻がシャワーを浴びてベッドルームに戻り、様子がおかしいのでアダムが見に行くと、そこには巨大な蜘蛛!というシーンですが、急に生まれちゃった、そして急成長したっていうことかと。

ふーっ。これがわたしの解釈です。

【解説に目を通して】
さすがに蜘蛛帝国は突拍子もなかったか!

町山氏はファイトクラブと同じ累計のドッペルゲンガー説でしたが、そこで言われるセリフが結構思い込みで、ちょっと違うかなあ。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は「潜在意識の映画」と言っています。
上で母の発言の矛盾を言いました。かたや主人格、かたや潜在意識だとしたら、母の「アダム・・」という問いかけと実際会っているのはアダムだけなのでこちらが主人格と思ってしまいそうですが、アンソニーが主だとするほうが合理的でしょうか。

蜘蛛は男を縛る女の象徴。
冒頭蜘蛛を踏みつけるのはモラルを踏んで性欲に素直になる象徴。
アダムは母からの解放(ブルーベリー)と妻からの解放(浮気)の象徴。
二つの人格の遭遇は間も無く来る人格交代の象徴。
アンソニーが入れ替わりを申し出たのは主人格が性欲の解放を求め、アダムが妻の家に向かったのは主人格がアダムになる象徴。
街にうごめく巨大な蜘蛛は直前の母の支配の象徴。
次に映る街に蜘蛛がいないのは自由意思で妻を愛した象徴。
アンソニーの事故は完全に人格交代した象徴。
ラスト妻が蜘蛛に「見える」のは、あっと言う間に浮気したい気持ちが芽生えた象徴。