Torichock

アメリカン・スリープオーバーのTorichockのレビュー・感想・評価

4.2
「The Myth Of The American Sleepover/アメリカン・スリープオーバー」

Myth=神話、Sleepover=お泊まり会

なんで神話なんて言葉が使われているのか、それが知りたくて、映画の端々に生々しく映った、瑞々しくて、ささくれ立った、肉体や心が大人に移り変わろうとしている10代の一夜から目を離せなかった。

多分きっと10代の彼らは、自分自身の価値を、他人に擦り寄せることで、それこそ唇や肌で感じることでしか手にできないと思っていて、一夜のお泊まり会で、自分には今どんな価値があるのか、自分には今何があるのか、自分は今どこまでいけるのかを知りたくて、頼りなく何かに思いを馳せて夜の闇にすべりこんでいくように見えた。
浅はかで頼りなくて、取り戻せないことに思いを馳せたり...。
それは、まるでホラー映画のように、何かが起きそうな期待と不安に満ち満ちた一夜。
それはもしかしたら、10代だけのことではないかもしれない。いや、多分いくら大人になってもそうなんだと思う。

だけど、10代の一夜だけはMyth=神話だってことは、大人になった今、この映画を観て再確認することができた。

行き当たりばったりの自分の思いと行動も、好奇心も復讐心も性的衝動も何もかも、その安易で直感型な選択とその間違いも、それはいつか自分で自分を振り返るときに、そこのみにて光輝く一瞬の連続なのだから。

"あのとき、ああしておけば良かった"とか"あのとき、自分の気持ちに嘘をつけばいい思いができた"とか、そんな瞬間がたくさん切り取られてた。
それは間違いなく、大人になってから気づくことができる、手に届きそうで届かなかったMyth=神話だったような気がした。

映画を観ている最中、登場人物が自分自身に我慢ができずに、ことごとく間違いを犯していく姿が、本当に美しく見えた。
そして、散々その間違いを繰り返した最後に、主人公の一人の女の子が口にする、

"この闇を滑り落ちても今日はキスをしない、今日はここまでで満足なの"

それは、彼女が大人になった瞬間であり、もっとも10代のような純粋さに満ちた瞬間でもあったような気がする。
純粋さとは、何も知らない10代ではなく、いろんなことを知った上でなお、自分の中につき通したいものが生まれた、その瞬間の宝石のようなものなのかもしれないなと思った。

こんなに美しく純粋さに「君の名は。」を観る必要なんかないのかもなと思えた、この映画に出会えたから。

「It Follows」のロバート・ミッチェル、この人は間違いないかもしれない。
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