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濡れた唇のmasatのネタバレレビュー・内容・結末

濡れた唇(1972年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

ロマンポルノの登場に、傑作『かぶりつき人生』(68)以来、4年間干されていた神代辰巳、これ幸い、渡に船!と乗り出した第一作。

トップシーン、シネマスコープの横長画面を駆使し、公園のベンチで悶え合う、ズラリと並ぶカップルたちの様相がドーン。
そこからドロップアウトしてしまう童貞青年が、マッチングテレフォンで出会う女との地獄の逃避行ならぬ逃亡劇を演じる羽目になる。
時は1972年。アメリカン・ニューシネマが発動し、5年も経っている。その臭いと道行具合がプンプンとする。
もちろん破滅的エンディングなのだが、生と性への執着が凄まじい神代演出は、青年を殺さない。そして、女・絵沢繭子に、警察の長い廊下を走るシルエットと共に苗字を知らない青年の名前を叫ばせるのである。破滅的ながら、死が登場しない、その生殺しの様な、悦びの様なラストは、まさに神代だし、“日本”を表している様である。
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