尿道流れ者

消えた画 クメール・ルージュの真実の尿道流れ者のレビュー・感想・評価

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エンターテイメントとしての映画ではなく、記録としての映画。カンボジアにおける最大の悲劇の被害者の生き残りが当時を語り、残していく。当時の映像はほとんど残っておらず、記憶をもとに泥人形を使い映像化していく。その泥人形は沢山の人が地中に眠る土地の泥を使って作られていて、無表情な面持ちのなかにも訴えかけてくる何かがみてとれる。

記録としての歴史は学習として留めていくことはできるが、記憶としての歴史はより強く、傷のように留めていくことができる。この映画から学ぶことは多かったが、それは記録としてのもので、傷は残らなかった。まるでNHKの特番のように淡々と進んでいくばかり。人の心に傷として残し、深く反芻させるためにはもっとエンターテイメント性を持っていなければならなかったと思う。ただ、これは多分虐殺の歴史に対する反抗の第一歩で、今後たくさんの人の心に傷を残すような花が開くかもしれない。多分。かもしれない。