くりふ

ビッグ・アイズのくりふのレビュー・感想・評価

ビッグ・アイズ(2014年製作の映画)
3.5
【目は口ほどにものを言い、口は禍の元になる】

心理への踏み込みが物足りない感じは相変わらずですが、前作『フランケンウィニー』での原点回帰、リハビリが効いたか、バートン映画がまた面白くなってきて嬉しい。

今回は題材に合わせ作風変えていますね。しかしバートン印はしっかり刻んで。サイズ的にはミニシアターで公開するような小品で、だからこその締まりの程よさ、を感じました。

画は何も感じ取れぬ漆黒から始まりますが、引くとマーガレットが自身の心の窓として描き、孤独を込めたあるものと後でわかる仕掛け。

はじめはそう受け取る隙もなく「複製」「流通」されゆくのを見送るしかないですが。このイントロの暴力性に、全体のテーマが透けている、と思いました。かなり直球ですけどね。

私は複製での鑑賞を前提としない絵画作品は、原画をみないと真価がわからないと思っているので、このイントロには少し考えさせられました。

描かれたマーガレットの心象は、作者の皮を被る夫ウォルターの出まかせが付与されると、違った意味を持つ作品として流通されます。マーガレットは絵のチカラだけでは解放されなくなってゆく。さて、絵を描くというコミュニケーションって?

もうひとつわかり易いシンボライズは、自分の絵が大ヒットした後、スーパーマーケットでマーガレットが遭遇する「アートな飽食」の末期売り場(笑)。

本作はアンディ・ウォーホルによるマーガレット礼賛コメントで始まりますが、あのマーケットで彼女はまず、ウォーホルの代名詞、キャンベルスープを買いますよね?その先、地続きで自分の心が叩き売りされている場に遭遇する…本人にとっては地獄絵図でしょう。

ポップアートの流れが奇妙にクロスする、私にとってはぜひ行ってみたい場でしたが。現代のウォールマートだと、もうこんなことは起きないのだろうなあ。

大きくは、上記2点間の揺らぎを描いていたので、私にはなかなか興味深い映画になっていたのでありました。

その他、1958年の冒頭、家から街から逃げ、郊外を車で走り抜けるマーガレットが、『サイコ』(1960)でのジャネット・リーに強烈に被った。やってるこた真逆ですが比較すると面白い。この後にトンデモ男に捕まる、って事情も同じだし。逃げても結局は男に左右される、この時代の生き辛さが染みてきます。

とはいえ夫に搾取されるマーガレットも、100%被害者ではないのですよね。彼のチカラで絵が売れたことは事実で、その贅を楽しみつつ、共犯者としての自覚はあったわけでしょう。

それを覆すためには結局、神頼み?に傾いたようで。エイミーさんは『魔法にかけられて』の頃から、怪しい宗教などにコロッと騙される隙があると感じていたので、あ、はまり役だなあ、と感心し眺めておりました。

クリストフ・ヴァルツは相変わらず強烈で、そのビッグ・マウスで裁判をワンマンショーに仕立ててしまうところなんて流石ですが、今回は彼が好演するほど空疎になってゆくのがオモシロイ。彼がノレばノルほど、ウォルターという人物がわからなくなってゆく。

しかし、バートンって裁判を撮れない人だなあ、とも思いましたけどね。落としどころがバートン自身わからぬまま終わったような仕上がりでしたが、素材の求心力とそこへのバートンの共感度は伝わりました。

再見したら、もっと整理できて色々書けそうです。見た目の大人しさに比べ、ネタの詰まり具合はとても豊富。改めてアメリカの50年代はオモシロイなーと思いました。

<2015.2.12記>
くりふ

くりふ