鰹よろし

砂上の法廷の鰹よろしのネタバレレビュー・内容・結末

砂上の法廷(2015年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

 この作品のウリはラストの逆転劇では決してなく、それまでの裁判におけるある1つの真実の形成過程を眺めてみての、じゃあ本当はどうだったの?という今一度真相を見つめなおしてみると・・・ってなところにある。


 陪審員が判断するのは有罪か無罪かだけということと、それゆえの裁判における陪審員へのアプローチは見もので、ここは踏まえるべきところだろう。劇中の真相へのアプローチは、裁判における証言を繋げて作られるイメージ(及びライン)と、それに情報が補足されたカタチでの再現映像によるイメージ(及びライン)で行われる。陪審員制度においてそれはどこまで抉られどう判断されるのか。どこに影響されるのか。

 前者において嘘がつかれていたのなら・・・、として後者を観せていくわけだが、この嘘、嘘、嘘と来ての弁護士にすら黙秘を続けていたマイクの衝撃の真実の告白の流れはうまかった。マイクの晒されている状況からの判断なわけだが、口を開くまではマイクの意思は全く介入せずに話が為されている。当事者抜きに真実が形成されていく。断片的な真実が都合の良いように組合わされていく。

 我々はこの外に存在していることがおもしろいところで。証言者の証言による真実の形成と、実際とされるものが映し出されるわけであるが、ここでそれを比較できるのは我々だからなのである。そこにマイクが一石投じることで気付かされるのである。我々も同じように断片的に都合の良い真実を組み合わせ真相を探ろうとしていたことを。最終的には前後関係をも訴え始める。明らかにされた真実の因果関係が狂わされるわけである。

 これの何がうまいのかというと、結論ありきで話が為されているところを突いたことである。裁判においてはマイクが父を殺したということ。これありきで動機を究明する事が焦点になっていく。そしてその動機を陪審員に訴えるのである。情に訴えるのである。これが裁判なのである。陪審員裁判なのである。
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