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毛皮のヴィーナスのくりふのレビュー・感想・評価

毛皮のヴィーナス(2013年製作の映画)
3.0
【おじいちゃんのエロノロケ】

80歳を迎え、股間は静まったらしきポランスキーの、ちょっぴりエロスな茶飲み話に付き合うような映画。

インタビューでも漏らしていますが、サドマゾには関心ないようで、そこを追及する物語じゃありませんね。本音は多分、アラフィフでもまだまだフェロモン染み出す奥さん、エマニュエル・セニエを自慢したいだけでは?(笑) 実際、本作の魅力はそこにつきます。

これ、原作の舞台劇に忠実なのでしょうかね?だとすればつまらなそうな劇だなぁ(笑)。

元のマゾッホ原作は、延々続くマゾ描写に飽きてしまいキチンと通読していませんが、ゼヴェリーンとワンダの支配/被支配、その関係性の面白さが肝にあることはわかりました。

ゼヴェリーンが受け身でマゾに徹するように見えて、実はワンダをサドな女王様に育て上げることになる。さて実際に支配されたのはどっち?…簡単に書くとそんな揺らぐ面白さがありました。

本作の方は、演出家として女優を支配しようとしていた男が、逆に…という展開ですが、見ていて別に意外じゃないんですよね。特異なのは、演出家の内なる性癖?を女優が引きずり出してゆく、という部分ですが、これもふ~ん、という感じ。

何だか彼我の差があり過ぎて、当たり前というか、女優ワンダが演出家トマをただ苛めているように見えてしまう。こういうのは真のSMとは呼べません(笑)。見ていてヒリヒリしませんね。一方的で、心理的な対立関係にならず、その帰結としてトマはどんどん内へと閉じ込められてゆく。

彼って辱められても解放はされてないですよね。ラストのあの姿はそうでしょう。まあ、あの劇場という呪縛まで含め美化すれば、演劇に殉じた、とも言えるのかもですが、私には袋小路なエンディングにしか映らず、後味は悪かった。

一方、ワンダは最後まで謎めいて、面白いですねえ。トマの内なる性癖を引き出した、と書きましたが、実は演出家としてのワンダが、トマをそう捏造してしまった可能性も感じます。そのくらいの魔力(笑)を持つ女で、彼女が活躍する物語を連作で見てみたくなりましたね。

似た構造を持ち、やはりセニエさんがファム・ファタール的魔女を演じていたポラ作『赤い航路』を思い出しましたが、あちらでは機能しなくなったペニスの代用品で、男が暴力的に女を屈服させる結末でした。しかし今回は…。

ああ、やっぱり枯れたのねぇポラじいさん(笑)。でも、こっちの方が本音ではキモチよいのではないかしらん。

<2015.3.1記>
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