わかりみが強い。
好きな人のチンコを切って、帯にしまっておくという異常行為ばかりが取り上げられがちな阿部定ですが、本作を観て、人間っつーのは一面だけで見ちゃいけないなぁと改めて実感しました。
「心というのは、自分でもよくわからないもの。」
みたいなセリフがあって、
手元の「わかる〜〜」ボタンを連打しました。
同意同意、同意よ〜!!私も私がわかんない時、よくあるわ〜!!!!15分に一度は自分を疑うわ〜〜!!!恋愛となるとさらにそのペースはアップして、情熱と冷静と混乱が入り混じってアマゾン川のごとし激流となり、日々私の心をざわめかせているもの〜!!!阿部定、わかるよ、わかる、わかりみが強い〜〜っ!!!
映画を見終わったあと、無性に私も寂しくなってきて、彼氏に「もし先に死んだらチンコ切って私が持ってていい?」と尋ねた所、「うん!死んだ後ならいーよー!」と明るく了承を得たわ。
以前、「雪山で遭難し、てもしも彼が先に死んだら二の腕食べていい?」と尋ねた時も、「うん!痛いから死んでからにしてねー!」と言われた時と同様に嬉しかった。別に死んだ後なら良い、という死生観!!!死生観!!!死・生・観!!!!!!!
心というものは、自分のものであってもわからない。
何が寂しくて、何が欲しくて、何をどうしたら救われるかなんて、誰もわからないのだ。
ただ、一生懸命に生きていく中で、突然生まれる落とし穴。
ただ、ひたすらにもがいて生きていく中で、突然生まれる衝動。
人を殺したくて殺したんじゃなくて、
その人が好きで、欲しくて欲しくて、気が付いたら殺してたのかもしれない。
それは決して許される行為ではないけれど、これを純愛と呼ばずしてなにを純愛と呼ぶのよ…わかんねぇよ、セカチューなんか純愛じゃねぇよ、中原中也と太宰治を思春期に読んで育った仄暗い私にとっては、この話は完全に純愛。ピュアじゃん、欲しいからチンコ持ち歩く。そのあと死に切れなかった彼女だけど、模範囚を務めてシャバに出てきて、どんな風に暮らしたのだろうか。気になりました。
名を変え、住む土地を変え、家族も友達も、今は亡き好きピのチンコすら手元には残らなかった彼女の心に、一体どんな感情が残り、
そしてどう生きていったのだろうか。
女の人生は長い。
好きな男のたった一人、永遠にそばにいてくれたなら、それだけで報われるのか、それだけでは足りないのか、事足りて完結するのか。。
強烈なストーリーに魅せられる、ピュアな一本でした。
一番好きなシーンは、ドーナツを食べる阿部定に、元気なチ●コを見せつけて
「おい定、そのドーナツで輪投げしねぇか?」という、昭和一プレイボーイなヨガマスター片岡鶴太郎の誘惑シーンでした。
そんなエッチな誘い方、この世にあるのか??????あるわけねぇだろ……ふざけんな最高かよ…と思いました。
ほんと、最高でした。