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機動戦士ガンダムUC/episode1 ユニコーンの日のRUNPENのレビュー・感想・評価

1.0
バンダイのガンダム産業最後の成功例。
EP1の感想というよりもガンダムユニコーン全体の感想。

1年戦争およびその後の宇宙世紀設定&物語の補完にいっぱいいっぱいになり、バンナムおよびサンライズがついに手を出した「逆襲のシャア」以降のお話。

ガンダム関連作品は「機動戦士ガンダム」の頃からアニメ映像作品と小説や他メディアでの展開はパラレルワールドであるという暗黙の了解があったのだが、その外伝的小説作品からのアニメ化という一線を超えてしまった作品。(ガンダムシリーズは映像化されると宇宙世紀正史とみなされるというオタクの不文律があるので)
まぁフィクションであるロボットアニメに正史もクソもないが。

ひとつのアニメーション作品として見ると全編通して作画の正確さのスゴさや手描きのMS陣のメカニックや戦闘描写に戦艦などの巨大建造物に各コクピット描写などCGを多様した超綺麗な画面など見所はたくさんある。
が、問題なのはこれが機動戦士ガンダムの正当な続編になってしまった、という事だ。終わらない物語化とでも言おうか。

初代「機動戦士ガンダム」は「逆襲のシャア」で完結している。綺麗に終わっている。という認識が私にはある。
宇宙に進出した人類がニュータイプという概念を見出して「さぁこれからどうするかは私たち次第」というアムロやシャアをはじめ様々な登場人物達が命をかけて導き出したメッセージをどうして今更ほじくり返してこねくりまわすのか????
という偏見がそもそもある。

なのでガンダムユニコーンの原作者福井晴敏氏には同世代のガンダム好きとしてどうにも賛同できない。バンダイサンライズにもすでにいい印象は無い。
過去に見知ったキャラクターであるオードリーやマリーダが本筋に絡んでくるのはどうしたって面白いとは思うし「さぁどうなる?!」って期待も高まったのだけど、結局のところ2人とも物語の中では「過去のガンダムを知ってる人は楽しめる」程度の扱いにしか思えないのがとても残念だし、ニュータイプの概念が個人によって違い過ぎるのが1番の問題だ。今回のユニコーンではニュータイプにしてもサイコフレームにしてもオカルト過ぎるというか超能力過ぎるというか。
福井氏やサンライズ、バンダイのこの認識が私には全くあわない。
ア・バオア・クーの最終局面でアムロが皆に送ったテレパシー"のようなモノ"にしてもララァの言う「ニュータイプは殺しあう道具じゃない」という言葉からアムロが気づいた「人を思いやる心」が示したある種虫の知らせ的な"人の勘"や"閃き"がホワイトベースクルー=仲間=アムロが大切に想う人達に伝染したものだと思ってる。
それは決してテレパシー的な電話的な相互通信できるようなモノではないのでは?
セイラが「人がそんなに便利になれるわけ…ない」と言うように。

(そもそもあのララァの言葉は死んでしまったララァが語りかけたんじゃなくて、亡くなる瞬間ララァと分かり合えたアムロが思い出した言葉だと思う。だから今回ユニコーンでマリーダが亡くなった後にあれこれ語り出すのは違和感あるというか…ニュータイプなんでもアリかよ!的な気持ち悪さがある)

機動戦士ガンダムの歴史という宿命を背負ったオードリーと、これからの主役になりえたバナージが共にニュータイプ概念以降の新しい宇宙世紀の人の在り方を描く物語をもっと描けたのではないか?というのがガンダムユニコーンに対する1番残念な部分である。(とくにオードリー=ミネバはオールドタイプとニュータイプの橋渡しにもなれる唯一の存在だと思うので)

あげくに結局最後は過去のキャラクターになんとかしてもらうという情け無い結末…残念すぎる。バナージは本当に主役だったの??
全編通して悩み戦うバナージがいちいち作中のオジサン達に説教や価値観を押し付けられながらも頑張る姿は非常に気の毒だ。

この作品で事あるごとに漂うオジサン泣かせの要素はなんだか妙に引っかかる。過去のMSが大量に出てきたりする事も同様。
どうもオジサンになりつつある当時からのガンダムファンに忖度しすぎていると言うか。まぁ原作者である福井氏がその代表格なので仕方ないと言えばそうなんだが。

この「僕の考えたガンダム世界」という感覚が2次創作の域を出てない気がして、どうにもこうにも居心地が悪い。

プラモデルにする為に出演させる昔のMSやそれが動く様は、とっても露骨な商業主義だ。それで「喜ぶ」ガンダムオタクにも非はあるが、この違和感、ガンダムがプラモデルの売り上げと共に肥大していった弊害であるのは間違いない。これは決してプラモデルを批判してる訳では無いが。
私を含む団塊ジュニア世代はいい加減にしよう(自戒を込めて)

続くガンダムナラティブが頓挫している現状からして伝えたいメッセージや表現したい事柄がないのに商品を売るためだけにアニメーションを制作するのは、本来ロボアニメがそういうものだったとしても本末転倒に感じる。
オモチャの30分コマーシャルとバカにされたロボットアニメを使って「それでも作品は作れるんだ」と鼓舞した「機動戦士ガンダム」が結局商品を売るためのCMに戻っている現在の皮肉。
とにかくガンダムユニコーンにはもっと新しいモノを見せて欲しかった。というのがなにより言いたいことである。残念。
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