尿道流れ者

悼む人の尿道流れ者のレビュー・感想・評価

悼む人(2015年製作の映画)
3.0
事故現場などの人が死んだ地点を巡り、勝手に、自由に、オリジナルの方法で死者悼んでいく主人公のキテいる姿が収められた映画。

この映画全体の価値観がズレているわけではなく、悲しみも愛しさも異常な心理もきちんと理解できるものとして描かれている。そんななかで1人キテいる主人公。悼むという言葉の持つ意味や主人公の行動の真意が分からぬまま、連発される悼むという言葉の響きに徐々に笑いが溢れてしまう。そこに急に挿入される霊体や感動エピソード、説明に言葉を尽くすくどい台詞回し。途中でこれは大林宣彦が監督だったかと錯覚を覚えてしまう。しかしそんなカルト臭さも時折糸が切れたかのように崩壊し、この映画本来の推進力も求心力もないドラマ部分が顔を出し、感情の高ぶりを押さえつけられる。しかし、主人公はずっとキテいる。癌を患っている母が危ないとの伝言を耳にしても、悼みながら家へと歩いてかえる主人公。もはやガンギマリの沙汰で、嘘だろっと客席がざわめいたように感じた。怒鳴られても水をかけられても訝しい顔をされても悼み続ける主人公のキテいる姿は何かしらのヒーロイズムとサイケ感がぎっしり詰まっているので機会があれば観て欲しい。

主人公の悼むという行為は、その人の死の理由に着目するのではなく、その人の生きていた時の姿とその人を取り巻く愛に向けられる。死に注目すると、恨みや悲しみが感情のなかで優先され、その人自身の姿が2番目に追いやられる。それではその人を悼むことにはならない。
そんな悼む姿を観て、死者に対して後悔や悲しみよりも優先的に持たなくてはいけない感情があるなと考えさせられる。理解はできるが、それを掻き消すキテいる姿を魅せるこの映画は必見かもしれない。