昔、報道番組の特集か何かで、原爆を落とした飛行機に乗っていた人に取材していたものを見ました。その人は、俺が戦争を終わらせた功労者なんだ、と得意げに語っていました。彼の話を聞いたあと、記者は彼に原爆がもたらした惨劇を伝えました。彼の表情は、見るからに曇っていきました。
これって、言う必要あったのかな。
とすら思いました。彼は悪い。だけど、もっと悪い奴が他にいる。もっと悪いなにかが当時はあった。もっと悪いなにかのせいで、彼は悪いことをした。彼だけを追及したって…。
アクト・オブ・キリングを見たときも、同じようなことを思いました。彼だけを追及したって。
現に、アディも当時の殺しを再現する加害者のひとりを見てこう言っています。
彼がこう演じるには理由がある。おそらく自分の行為を後悔しているんだ。だから演じる時、感情を失っている。
だけど彼らは悪い。
――責める気はないんです。ただ分かってほしい。
だろうよ。そうだろうよ。
原爆を落とさせられた方もまたある種の被害者だ、という考え方もできる。だけどやられた方はたまったもんじゃない。だから責めはしない。ただ、己がしたことの意味を解ってほしい。
「責任無き悪」ほど質の悪い悪はない。