ルック・オブ・サイレンスの作品情報・感想・評価

「ルック・オブ・サイレンス」に投稿された感想・評価

filmoGAKU

filmoGAKUの感想・評価

5.0
【メモ】今、話題の『15時17分、パリ行き』で「本人が事件当事者を自身で演じている」点が注目されている。監督の意図は、実在する米国の青年たち3人の勇敢な行動を讃えたものだ。実際に監督は、国内でも栄誉授与の際に彼らに直接会っている。その場で、彼らが手記を出版すると聞き、自分がそれを映画化すると約束している。クリント・イーストウッド監督は、その男同士の約束を果たした訳だ。その時すでに本人たちを起用することを考えていたのかもしれない。

さて、「本人の出演」の”衝撃”あるいは”話題性”に関して、あえて注目するのであれば、やはりこの映画の前作をおいて他にはあるまい。

この映画は「ドキュメンタリー映画」であるが、プロットの中で、ある「物語」が疑似餌(ルアー)として「本人」たちを呼び込んでいる。本人たちとは、「虐殺」の実行者たち本人のことであり、その「擬似」物語に出演してほしいというオファーを元にして、当時の状況をカメラの前で実際に演じてもらっている。まだ被害者の遺族・目撃者も実際にいる状況の中、埋もれてしまっている「事実」を描いている。

この映画が恐ろしいと思ったのは、被害者遺族、しかも彼は身内が殺害される場面を目撃しており、幼かった彼であってもその殺害者の顔をはっきり覚えている。その身内が殺される状況をカメラと殺害者本人を前にして語らせているのである。

これはドキュメンタリーであるといったが、加害者が実際にその町の権力者や「英雄」として語られているという事実を映すものでもあるが、ここでは敢えてその点にはふれずに「演じる」という点について記している。

得々と本人が語り演じる「事実」ってヤツをここまで残酷に描いているものを私は知らない。

残酷とは、「虐殺の事実」その実態が、加害者は「滑稽」であり、被害者はヘラヘラするしかなく「卑屈」だからである。

そしてこの映画は、その本人たちが語るに任せ、同時に、殺された被害者たちの立場も再現しながら、彼らに演じさせるのだが、次第に彼らに変化が現れる。変化とは、「罪」への自覚であり、「演じる」ことによってそれがまざまざと見ているものの目の前に現れる。「演じる」こと(その演じるものは、「殺人」)を映画化してるのだ。

タイトルはそのもの、「The Act of Killing」。被害者側からの視点に立った映画がこの『The Look of Silence』。

先の「擬似」物語は、贖罪を象徴するのだが、私にはそれが不快に感じ実際に嘔吐した。それが加害者演者の陶酔の姿でしかなかったからだ。

このレビューはネタバレを含みます

前作『アクト・オブ・キリング』よりも救いが無いように感じました。
加害者の娘さんが被害者へ共感してくれるところが、唯一の救いに感じましたが、それも主人公と同じ苦しみが彼女に付加されただけで・・・
末端の人間だけが苦しんで、トップの人間は知らぬ存ぜぬ。

これはこの国だけの問題ではなく、日本を含めた全世界的な問題。
この問題提起を、一人の人間を通して伝えてくれる本作は、よりこの問題を普遍的に感じさせてくれると思いました。

また、このシリーズを通して、「勝者の歴史」の怖さを感じます。
なん

なんの感想・評価

3.5
痛い。
上の指示だから関係ない、知らなかったから関係ない、自分はやってないから関係ない
過去のことだからもういいでしょ
やられた方はいつまでも覚えてるんだよな
よく名前出して映像化したと思う
JaneDoe

JaneDoeの感想・評価

-
アクトオブキリングに次いで。こちらのがまだ誠意があるというか、いずれにしてもこの二作の意義は歴史を周知させることのみにあったと思う

ところでマカヴェイフが評を寄せていて、奴が生きていることが確認できた
1965年に起こった政変から共産主義者の弾圧(いわゆる白色テロ)による被害者側の視点に立ったインドネシアのドキュメンタリー。
前編とも言える加害者視点の『アクト・オブ・キリング』とは対極をなす。前編とこの後編を見なければ、この共産主義者弾圧の本質を立体的に捉えることはできないであろう。

自分の生まれる前に弾圧によって殺された実兄の真相を探ろうと、複数の加害者やその家族にあえて会いに行く。
加害者やその家族(当事者でないから仕方ないかもしれないが)らは、反吐が出るほど、罪悪感の欠片もなく、臭いものには蓋をするように逆ギレする様子に畏怖すら抱く。人間はこれほど残酷になれるのだろうかと、グサッと己の心に深く突き刺さる。
高齢の加害者に至っては、自分が犯した殺しの数々を英雄気取りに喜々として雄弁に語り、悪びれもせず正当化し、良心の呵責すら持ち合わせていない。
いくら正当化しようとも、そこには何のイデオロギーさえないのだ。

この映画と前編を見るまでこんなインドネシアの負の歴史が現在までに至って尾を引いているという事実を今まで知らなかったことに、恥ずかしさを覚えるくらいいろいろと考えさせられるドキュメンタリーだ。
傍線部A

傍線部Aの感想・評価

4.0
「アクト・オブ・キリング」の続編。淡々としすぎてて、ときどきゾッとなる。話を聞く人が一律に同じような態度をとり続けているところが本当にリアルで怖い。彼らを断罪することはできるけど、一歩間違えば「彼ら」側になることは誰だって一緒。

このレビューはネタバレを含みます

全編通して苦しいけど、叔父さんが看守やってた件が苦しすぎる。自分の弟が息子の虐殺に加担していたと知らなくて、今になって知ったお母さんの気持ちはとても推し量れない。虐殺者の子孫が「俺は何も知らないんだ」と言って追い返そうとするシーンも、両者の気持ちがわかってつらい。自分がアディなら何も知らないからこそただ事実を知ってほしいし、子孫だったら親のやった惨事なんて知らんと言って知ることを拒否したくなるだろう。「そんなことやってると歴史は繰り返されるぞ」と脅迫した人以外は、肯定するという防衛本能だし他人事じゃない。
前作の時も思ったが、今この虐殺の歴史を掘り起こし、それでも事実と向き合いたい人たちのメンタルに感服。確かに埋もれてはいけない事だけど、詳細を知るにつれ、辛すぎる事が山ほどあったに違いない。それでも握手を交わす姿に感心すると同時に私なら耐えられないと思う
観ててられないくらいに酷い話。過去は過去、自分には責任がないと連呼する加害者たち。
前作『アクト・オブ・キリング』と同じく出演者の殆んどが本物の大量虐殺者というこの異常なドキュメンタリーは、こんなふうに殺人者達が殺人を認めながら大手を振って暮らしてるはずがないというのが思い込みだと気付かせるのである。戦争をしたあらゆる国には兵士と呼ばれるそういう殺人者がいくらでもいて、国家権力と富と植民地主義とねじ曲げた宗教と、あとプロパガンダと盲信ででっち上げた大義名分があれば異常じゃないはずの一般民衆が簡単に大虐殺を犯して罪にも問われないのは歴史が証明している異常ではない事態だったのである。人間について、善悪について考える気力を根こそぎ吹き飛ばしてしまいそうな危険な、けど大事な映画。
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