ルック・オブ・サイレンスの作品情報・感想・評価

「ルック・オブ・サイレンス」に投稿された感想・評価

前作の時も思ったが、今この虐殺の歴史を掘り起こし、それでも事実と向き合いたい人たちのメンタルに感服。確かに埋もれてはいけない事だけど、詳細を知るにつれ、辛すぎる事が山ほどあったに違いない。それでも握手を交わす姿に感心すると同時に私なら耐えられないと思う
観ててられないくらいに酷い話。過去は過去、自分には責任がないと連呼する加害者たち。
前作『アクト・オブ・キリング』と同じく出演者の殆んどが本物の大量虐殺者というこの異常なドキュメンタリーは、こんなふうに殺人者達が殺人を認めながら大手を振って暮らしてるはずがないというのが思い込みだと気付かせるのである。戦争をしたあらゆる国には兵士と呼ばれるそういう殺人者がいくらでもいて、国家権力と富と植民地主義とねじ曲げた宗教と、あとプロパガンダと盲信ででっち上げた大義名分があれば異常じゃないはずの一般民衆が簡単に大虐殺を犯して罪にも問われないのは歴史が証明している異常ではない事態だったのである。人間について、善悪について考える気力を根こそぎ吹き飛ばしてしまいそうな危険な、けど大事な映画。
アキ

アキの感想・評価

3.6
いわゆる共産主義勢力が大量に殺戮されたとある政変よりはや50年、今なおのうのうと幹部の座に居座る老人方々にかつて兄を殺された男が静かにマイクを向ける。どれだけ言葉で繕い、英雄を気取ってもおりた沈黙が彼らの責を白日の下に晒す点、「ルックオブサイレンス」とはまことに言いえて妙なタイトルだと感じた。
くら

くらの感想・評価

3.5

このレビューはネタバレを含みます

椅子に腰かけた生き証人が、インタビュアーに向かって思い出話をする。

こうした証言ドキュメンタリーは、誰にもなじみ深い。だが加害者が被害者に対して証言するというものは見たことがなかった。
とても意地の悪いものだと感じたが、当事者同士が向かい合うことで何が起こるかわからない緊張が漂っていた。
特に被害者側であると打ち明ける場面、
加害者に見える明らかな動揺は、このシチュエーションが設定されたからこそ生まれたものだった。
そこには非難をかわそうとするだけでなく、過去に犯した過ちを認めたくないという心情が見て取れた。

虐殺、武力鎮圧、紛争、戦争。
呼び名は違えど、結局はすべて殺人ないし殺人未遂であることに変わりはない。
だがその時々の勝者によって、殺人は正義となってしまう。
これはインドネシアだけの話ではなく、すべてのケースに当てはまる。“大義名分”が用意された戦争では、兵士は相手を何人殺したかが勲章となる。

自分を支えてくれる仲間、住む土地、明日を生きるための食糧は、果たして暴力でしか得られないものなのだろうか。
殺人を正当化する人々の言葉は、ひどく虚しく薄いものに感じられた。
「アクトオブキリング」の続編ドキュメンタリー。

人間はここまで自分の罪に無責任になれるのか、と驚かざるをえない。しかも加害者たちはその罪の追求からも「モスクに行かなきゃ」とか言って逃げようとするのである。いったい宗教はなんのためにあるのか、と怒りたくなる気持ちになる。
しかし、このような残酷すぎる現実に対して、自分自身も含めた「弱い」人間は目を背けなければ生きることはできないし、それだからこそ、目を背けることなく加害者やその家族に立ち向かう主人公が「強い」人間であることが際立ってくる。自分ならどうだろう、と自問自答せざるを得ない。

自分の人生にも投影できる映画は間違いなくいい映画。
beplum

beplumの感想・評価

4.3
インドネシア大虐殺の実行部隊のおじさんが再現映画を作っていくうちに己の所業に涙を流す、演じることの恐ろしさを知らせる怪作『アクト・オブ・キリング』の裏面。両A面なのでこれも見事なシングルです。
実の兄を虐殺部隊に殺された弟が、その実行犯やその遺族にインタビューしていくという話。
目が見えなくなって自力で歩けない骨と皮ばかりの父親と眼鏡屋をしている活動的な主人公の対比がなんとも詩的でした。
何度となく無言の視線のカットが挟まれて見つめるという動作のどうしようもなさが繰り返されます。見つめ続けることは出来るのか、話しかけていいのか。
それは同時に見て見ぬふりをしている(していた)当事者たちへの物言わぬ抗議でもあり、嬉嬉として殺害の武勇伝を語るおじさんたちと対照的でした。
殺したやつの血を飲めば狂わないで済むという超理論がでてくるあたりが凄かったです。
戦争と違って話す言葉も見た目も同じ、なんならご近所さんが殺したり殺されたりする状態は異常の一言で片付けるには熱を持ちすぎていたようにも思われ、ここインドネシアでは共産主義への攻撃だったけどいつまたどこかで似たようなことが起こらないとも、また起こってるとも限りません。
共産主義が正しいか正しくないかとか殺人が正しいか正しくないかは結局、時代や体制が決めてしまうことで、その時正しいと思った行いが人の道に照らして是か非かは熱病の頭では分からないものなのでしょう。この映画もカタルシスが用意されてるわけではなくてそれでも続いていくやるせない日常にぽーんと戻されるだけのような気もしました。
>|