ルック・オブ・サイレンスの作品情報・感想・評価・動画配信

「ルック・オブ・サイレンス」に投稿された感想・評価

人はどんな残酷なことでもやるということをつきつめた作品。特殊な国の過去の出来事ではない。
Peter

Peterの感想・評価

3.4
『アクトオブキリング』に続けて鑑賞。
ただただ被害者のやり場のない憤り、やり切れなさが切ない。
ku

kuの感想・評価

3.7
被害者家族と加害者の対話。

内容は、1960年代のインドネシアで秘密裏に行われ、およそ100万人もの命が奪われた大量虐殺。眼鏡技師の青年アディさんは、自分が生まれる前に兄が惨殺されたことを知り、さらに加害者たちがインタビュー映像でその模様を喜々として語る姿にショックを受ける。加害者たちがどのような思いで殺りくに手を染めたのか、さまざまな言葉や真実を引き出そうとするが……というもの。

『アクト・オブ・キリング』では加害者が行ってきた尋問や殺人を再現するという内容でしたが、今作は被害者が加害者の家に訪問し、話を聞くという内容なので、終始緊張感が漂っていました。

結局、過去は過去と割り切っているのは加害者側だけで、被害者家族は一生忘れないだろうし、同じことを繰り返さないために我慢しているだけで許してはないんですよね。共産主義者を殺すこと=善行と考えてる加害者も復讐を恐れているわけだから、罪の意識はあるのでしょう。

授業でもプロパガンダを利用し、共産主義者が残酷であると生徒に教えてるわけなので、今後も加害者側と被害者側の立場は変わらないと思うとゾッとしますね😓
いち麦

いち麦の感想・評価

3.0
言わば“アクト・オブ・キリング”が産み落とした作品で一層ストレートなアプローチに拍手。兄の殺された状況に迫る弟。余りに生々しい詳細とそれを語る加害者側の論理は恐く心理は醜い。含蓄あるタイトルは見事。
Kir

Kirの感想・評価

2.0

このレビューはネタバレを含みます

沈黙している虐殺加害者を見に行く話。

ありがちな真実を追求しに行くドキュメンタリ。

加害者は下っ端は上のせい、上は雲隠れは世の常やなぁ。

日本人もそういう人いそうだけど、もう時効やろうなぁ。

🇮🇩の闇に切り込んでいく映画です。
2015/7/7
今日は会社帰りに梅田のテアトルでルックオブサイレンスを見ました。
重い内容と空腹と冷えすぎた空調で、あまり集中できなかったけど、おおいに考えさせられました。
人間ってどんだけ悪いことをしても、或いは罪が大きいほどそれを認めないんだなぁと。認めると自分の過去を否定する事になるし、その責任を背負わなきゃならないからかな。
おこめ

おこめの感想・評価

3.8
ドキュメンタリーとしての意図○

結局、ドキュメンタリーって作り物なんですよ。特に今作は明らかに固定カメラやドキュメンタリーっぽくないカメラ配置でのアングルリバースなどの会話の切り取り方からもそれは明確

作り物=意図的な操作や思惑の塊

作り物=嘘="これ"が全てじゃないからね

つまり、監督や制作陣の思惑がめちゃくちゃ詰まった熱い想いがストレートに感じれるんですよ。てか、感じれなきゃドキュメンタリーとしての価値って何なんだろうってなる。

アクトオブキリング同様に、栄光や名誉という名の傷に徐々に徐々に踏み込んでいく事で加害者側の心理が動き出す。前作の切り口より今作は真っ直ぐではあるけど、その真っ直ぐな問いかけに対して今作では、観る我々へ投げかけられる問いが重たいのよ、、

宗教、政治、教育、文化、格差

テーマや思惑は明確だけど、決して一方通行では論じない語り口○

ドキュメンタリーとして質の高い一本
1960年代、インドネシアで行われた100万人規模の大虐殺。その加害者たちに虐殺再現映画を制作させ、過程と成り行きを取材したとんでもねぇ激攻めドキュメンタリー「アクト・オブ・キリング」今作は被害者側にフォーカス。

アディは、大虐殺事件の2年後に生まれる。兄ラムリは大虐殺の被害者。年老いた母親は今も加害者に怯えながら暮らしている。
・当時の話をする母⋯「兄さんが死んだ時、父さんの歯が毎朝1本ずつ抜けていき無口になった。私は食べることも寝ることもできなかった⋯悲惨だった。お前は兄さんの生まれ変わりだ⋯」
・アディ息子の学校の授業⋯「共産主義者は残酷。将軍たちを誘拐して目をえぐり、カミソリで顔を切り刻んだ!だから政府は彼らを一掃した!彼らの子供は大人になっても公務員になれない!共産主義者の子供はノーフューチャー!民主主義バンザイ!」
アディ「息子よ、それは全部嘘や⋯。大勢の罪なき人が殺された話は⋯してねぇか⋯」
加害者たちは今でも権力を握り、人生を楽しんでいる。「兄を殺した加害者に会って話を聞き、本当の歴史を暴いたる!」アディは加害者たちに当時の話を聞き出す。

・村の殺人部隊リーダーのじじい⋯「近所のほとんどが共産主義者。俺様は民間勢力の一員として活躍してきたから、みんなビビってなんも出来ねぇ!」「犠牲者の血飲んだから、たくさん人殺しても頭がおかしくならなかった」「共産主義の奴らは信仰心はないし、嫁を交換してセックスをする!」アディが突っ込んだ質問をすると「しつこいぞ!俺を怒らせたいのか?政治の話はしたくない!話が違うぞ、撮影やめろ!」キレだす。

・殺人部隊司令官のじじい⋯殺人リストにサイン。「国際的な問題を扱ったんだからご褒美もらえて当然さ!」過去の行為を善行だと思っている。「私の兄が殺されたのはあなたが命令したからです」「それ⋯俺じゃない⋯俺に責任を押し付けるのおかしい」責任逃れ。今まで会った殺人者は誰一人として後悔も責任も感じていないと嘆くアディに「お前の兄ちゃんどこ住んでた?どの村だ?」「⋯言えない⋯」今も権力を握り、英雄だと思っている加害者に怯えて暮らす被害者たちは素性を明かすわけにはいかない⋯それをこのじじいは「共産主義者の地下活動」と言い放つ。もう何も言えねぇアディ。

・兄を殺したじじい2人⋯「後ろからペニスを切り裂いてやった!何度も刺してやった!あ~ナタ持ってくればよかった⋯その方がリアルじゃん!」ノリノリで再現。「ラムリは良い奴だったかもしれないが⋯だから何?俺らに何が出来る?革命だぞ!」じじいたち曰く、軍が直接手を下せば世界中の怒りを買うので人民に共産主義者を殺させ、その行為を「人民闘争」と呼んでいた。背景に軍がいることは誰もが知っていたとのこと⋯。

・コマンド アクシの幹部。現在は地方議会議長⋯「殺しは自然に起きた。オラはランボーじゃねぇ!書記長をしていただけだ!」大虐殺事件を「これは犯罪ちゃいまっせ!政治でっせ!」100万人以上が殺されたことを理想を実現する過程とぬかす。過去のことを騒ぎ立て続ければ同じようなことが再び起きると全く反省しておらず⋯。
危ねぇからもうやめろという家族の反対を押し切り、アディのインタビューは続く。
・刑務所の看守をしていた叔父⋯「なぜ甥を守れなかった?」の問いに「できるわけねぇだろ⋯軍の指揮下で働く自分に。命じられて従っただけだ」虐殺の片棒を担いだのを悔やんでないのかと聞くと「私に責任あるのか?国家を守るためにやった。殺してねぇし責任など感じておらん!自分を責めるのはお門違い。過去は過去!」叔父の言葉にやるせないアディ⋯

・殺人者のじじいとその娘⋯「共産主義者撲滅に貢献していたなんて⋯父を誇らしく感じたわ!父のおかげで私はこの辺りで有名人よ!」「女の首を中国人の喫茶店に持ち込んでやったぜ!」「えっ!?何の得が?」「ただの嫌がらせ。その後ゴミ箱にポイだ!」殺しの様子を意気揚々と話す。兄も被害者だと話すとよそよそしくなるじじい。娘「父を許してあげて⋯認知症なの。ほとんど覚えてないの」WOW⋯

・ある映像。殺しの本を出版「リアリティーを出すためにイラストも自分で描いた!」本を自慢するじじい⋯このじじいは死んでしまったのでじじいの家族に会いに行く。じじいの家族は⋯。

マジ胸糞です。真実を知れば知るほど⋯辛っ!です。アディはこの後この村で生きづらいだろうな⋯。
反省なし、言い訳、責任逃れ、逆ギレのマジ地獄⋯人間は恐ろしい生き物ですの映画でございました。
一方的に行われた搾取と大虐殺を、人民闘争だったと加害者は振り返る。
殺人に大義を与えるために、歪められ、忘却される歴史。被害者遺族の前で繰り返される醜く破綻した自己弁護。
誰一人自らの罪に向き合うものはいない。言葉を持たない死者たちは、死して尚生者に貶められる。

当時の大虐殺からすんでのところで逃れた元共産主義者は、「過去は過去だ。これ以上掘り返してどうなる?」と、兄を民兵に殺された過去を持つアディに訴える。
彼のその言葉が、未だ国内で実権を握る加害者に対する恐怖によるものなのか、彼らの宗教観によるものなのかは分からない。

きっと教育が変わらないことには何も変わらないんだろう。まるで一国総出の心中劇を目撃しているかのような絶望感があり、観ている間中ずっと胸が苦しかった。
karinM

karinMの感想・評価

3.7
【出口を探す作業】

アクト・オブ・キリングに続いて。
事件に関しては大方そこに書いたので割愛。

今までダヴーとして、一端に触れることすらできなかった9.30事件。
当事者が映画を通して振り返る事で、その着地点を探している。
この問題には、こういった"強くない"外部の介入が最も必要だったのかも。

それにしても…9.30事件勃発に関する記事の中で、当事者であり日本語かつアクセスしやすいのがデヴィ夫人のブログという。激動の人だ!
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