常盤しのぶ

虐殺器官の常盤しのぶのレビュー・感想・評価

虐殺器官(2015年製作の映画)
4.5
『ファストファッション』という業態がある。大量生産することで製造コストを安く抑え、消費者へ安く提供するシステムだ。大量に仕入れ、大量に作り、大量に運ぶことで、輸送費や人件費を抑える。消費者である我々にとっては服が安く手に入るのだからありがたい話ではある。しかし、原料を極限まで安く買い叩くため、製造側の安すぎる賃金や過酷な労働環境も問題となっている。

本作では感情や痛覚がマスキングされたクラヴィスが、大量殺戮扇動者ジョン・ポールを追う。その道中、彼はとあるバーの経営者と出会う。男は言う。『人は、見たいものしか見えないようにできている』と。その話が出てきた時、私は前述のファストファッションの話を思い出した。現代を生きる我々は、大小様々な犠牲の上に立って生きている。それは紛れもない事実だ。しかし、それらの犠牲を全て意識できる人間はまず存在しない。気にしていたらキリがないからだ。だから我々は『見たいものしか見えないようにできている』。何より、その方が生きていく上で圧倒的に楽だ。

とはいえ、だ。意識しないだけでそれらの犠牲がなくなるわけではない。ファストファッションという業態がなくなればこれらの諸問題が解決するかといえば、そういうわけにもならない。『格差問題をなくそう』と口で言うのは簡単だ。が、実際に同じような柄で値段が異なる2着の服があった場合、高い方を手に取る消費者はどれくらいいるだろうか。『同じものであれば安い方が良い』とTVで流すような現代である。

ジョン・ポールは言う。『殺し合う人間同士で殺し合ってほしい。こちら側に来てほしくない』と。ウィリアムズは言う。『俺だって家でハラペーニョのピザを注文して認証で受け取る生活が良い』と。クラヴィスやウィリアムズは感情をマスキングし、殺すべき人間を殺す。それがたとえ女子供であろうとも。時には同僚の犠牲を出しながら。

感情にマスキングし、発生する犠牲から目を背け、安全な場所からハラペーニョのピザを注文し、アメフトの中継を観る我々は、クラヴィスであり、ウィリアムズであり、ジョン・ポールである。