パトカーでもタクシーでもない"自動車"は悪党の特権的な車両であり、若い男女の逃避行に掻き消される老人の復帰戦は恐ろしく荒廃している。俯瞰ワンカットの贅沢なカーチェイスも、作風から逸脱したスペクタクルより視覚的な簡潔性を選ぶ謙虚さが素晴らしい。
ネクタイの導火線までが経験則だが、この大爆破が示唆しているのはここから暴力のタガが外れていく合図であって終盤のクラッシュも、車を失うことが死に直結するフライシャー映画においてこの過剰とも思える(一見爽快な)爆発は何より不気味なのだ。
全てを見透かしていた男が去っていくカットは死亡フラグ云々よりイマジナリーライン上で男女の顔がしっかりと切り返され、そこから振り返るという簡素なアクションが実はフライシャーのキャリア唯一という事実抜きにしても抜群の強度を誇る。
ジョージ・C・スコットのくたびれた顔面が若い情婦トリッシュ・ヴァン・ディーヴァーのそれを明らかに凌駕している美しさ。