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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のTorichockのレビュー・感想・評価

4.1
「BIRDMAN or (Unexpected of Ignorance)/バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

萩原と荻原の違いに先日気づいた僕ですが、本作の監督、アレハンドロ・イニャリトゥほど、名前を覚えられない人はいません。
"アレハンドロ・イニャ○■△ゥ"といっつも誤魔化してましたが、今回でちゃんと覚えたぞ!

アルフォンソ・キュアロン、ギレルモ・デル・トロ。振り返れば、メキシコ人監督の映画って結構好きなのかなぁとか思いました。
イニャリトゥ監督作は"アモーレス・ペレス"が最高!って感じで、"21g"は同じくメキシコ人俳優、俺たちの"ベニチオ・デル・トロ"最高!だったなぁ程度の感覚。
"BABEL"は渋谷クイントで鑑賞したんですが、隣に座っていた"私感性磨き上がってます"系女が、せんべい食べながら(この、せんべい食べながらっていうのが嫌)、ウォンウォン泣いていたので、シラけて嫌いな映画になってしまいました。
見返したらきっと面白いのかな。

かつて名声を得た俳優が、もう一度その名声を手に入れるために、孤立奮闘するワンスagain映画かと思ってました。が、ジャンルがコメディという触れ込み、予告から漂う変な映画感と、イニャリトゥ監督のフィルモグラフィーから考えると、どう考えても普通の映画ではないなと思い、期待半分不安半分で劇場に観に行きました。

さて、結論から言うと、こんなの見たことないわ!っていう感想と、映画作品して面白かったという気持ちです。もちろん、エマニュエル・ルベツキ撮影監督の、一本まるっと長廻しにも見える撮影方法もですが、この映画の存在そのものが異質な存在だったように思えます。
そして、この映画は物語的に〜とかカタルシスを〜とかいうところで、評価されるタイプの映画ではないのかな?ともすれば、つまらないと言われるのも仕方ないのかな?いう感想です。

ここからはあくまで僕個人の意見です。

表現者やアーティスト、それぞれ畑の違うエンタメやファン、それを楽しむ客と口出しをする批評家、それを全て取り囲むかのように発達したSNS。
例えば、ロック好きの人間。彼らがアイドルソングをバカにするけど、そのアイドルたちはバカにされているのも承知の上で、道化して金を稼いでいる人もいます。(なにを勘違いしてるのか知らないけど、アーティスト気取りのアイドル、"きゃりーぱみゅぱみゅ"をイジろうぜ!)
金を稼いだほうが勝ちと言えばそうかもしれないし、ロック好きは"曲も作ってねぇのに!"と思うかもしれない、"俺たちは、必死こいて曲を作ってるのに!曲も作らない、この道化共が!"と妬んでるかもしれない、自分たちの方がシッカリと音楽をやっていると思うかもしれない。
が、そんなもの知ったことか、というのが世界でもあると思うんです。

自分のやりたい音楽をやって、分かってくれる人に愛されるために頑張ったとしても、売れなきゃクソにもならないのが芸術と言えば、それもまたその通りなんですよね。
そういう時に出しゃばるのが、めんどくさい音楽ファンや批評家。そして、彼らが口をそろえ忌み嫌うのが

"売れ線に走った"

ってやつ。
売れなきゃクソにもならない、飯も食えないアーティストを差し置いて、評論家やらめんどくさい音楽ファンは、売れ線に走ってかっこよくなくなったとか、勝手なことをぬかすんです。
嫌な世界ですが、これが現実です。
さらに輪をかけて嫌なのが、そんなロック好きが音楽に目覚める前から、音楽の英才教育を受けてきたクラシック演奏家や愛聴家は、"ロックなんてくだらねぇPOPsだろ"と思ってるかもしれない、というところでもありますな。だめ押しですが、そんなこれも、ただの僕が勝手に思い描いた空想。

要するに、例え自分のやってることが認められたり、愛されたとしても、それが自分の望む認められ方や愛され方ではない者もいるし、自分のやってることを信じ、おおっぴらには売れないけど、せこせこと好きな人に好かれるだけの者もいるし、どちらも手に入れたけど満たされない者もいるってことです。

そんな中で、ひときわ賢く見えるのが、人に何を言われようと、開き直って、文句を言う奴も褒める奴も適当な距離を保ち、その口うるさい連中の声までも利用して、うまいこと波に乗っちゃい、"文句の言うのも野暮"みたいな位置まで登りつめちゃう、そんな勝ち組もいるわけです。

でも思ったんですよね、彼らはみな、不幸であり幸せでもあるなと。
それは冒頭の

君は望みを果たせたか?
果たせた
何を望んだ?
みんなに愛されること

彼らは、どちらにせよ、何にせよ愛されたんですよね。これって、対人関係においてもそうですよね。
どんな形であれ、愛し愛されることは幸せです。
そして"フォックスキャッチャー"のラストにも通づる、

誰かに認められ求められ必要とされる場所さえあれば、人は生きていける

というところにも繋がる、深いテーマだったのではないでしょうか?

ぼくは、この映画の全てからアイロニーを感じたし、それでも地球は回ってるし、人は生きていかなきゃいけねぇんだよバカ!とでも言われたような気がしました。
そして、そんなアイロニーに満ちた映画を観れる幸せも感じてしまうのが、この映画のすごいところかもしれません。

爽快ではない、ひたすら痛快。

全くもって見当違いの感想かもしれません。が、そんなものfuckでいいんだと思うんですよね、知ったことかと。
そこは"ウルフ・オブ・ウォールストリート"に通じる、"おれはおれだ、文句あっかFuck!"にも似た精神性も感じました。

この映画を翻って考えてみると、スターになりどん底に落ち、それでも自分の立場を上手く築き上げてきた有吉を思い出しました、なぜか。

バードマン、思い返せば思い返すほど、僕は好きな映画でした。
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