ディアッカ

ホーンズ 容疑者と告白の角のディアッカのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

宗教的観念と知識に乏しいため、なぜ悪魔の角が「正直さ」のあらわれであるのかは分からないが、その実能力はとても悪魔的。
「正直にさせる」ということは、素直であることと同義ではなく、むしろその人物から「理性」というタガを外すということとセットであり、序盤は「食欲」や「性欲」の吐露というライトなものであったが、その能力の真の恐ろしさは中盤以降に一気に噴出する。
殺人の汚名を着せられたイグを追うレポーターたちには、隠れた本心にある暴力性を暴き、一歩間違えば死んでしまいかねないほどの殴り合いをさせ、直後のシーンでは自分の店の火災保険で食っていきたいと吐露する店主は、本音を吐露するうちに火炎瓶を作り本当に自分の店を燃やしてしまうシーンを見て、中盤にかけてファンタジーな探偵モノの体をなしはじめた流れをちゃぶ台返しされたような気分になった。
イグ自身も自らの行いによって起きた事柄を嘲笑して見せたり、燃え盛る店内から煙をまとい登場するさまは人の身でありながら悪魔そのもので、ここから能力の使い方を理解したイグにより物語も一気に核心へ迫る。
しかし、いくら心が乾き悪魔の手法で本心を暴こうと、イグ自身の心は人のままなので、時にはイグにとって聞きたくない残酷な言葉をぶつけられることもあり、望まれぬ力に苦悩しながらも、時には身内にすら酷薄に制裁を加え、ついに真犯人にたどり着くも、またその真犯人が近年まれに見るド級の極悪人なのが良い。
この作品の一番のキモは、悪魔と化したイグよりも、悪魔らしい人間である真犯人の存在にほかならない。
人を殺めることへの躊躇いのなさ、息をするように嘘を重ねる性格よりも、何よりヤバいのはイグを守ろうとしていた事ではないかと。
結局、真犯人の本心は吐露されることはないのだが、おそらくイグを法廷でハメることよりも、本当に無実を証明する方向で収めようとしていたのではないかと思う。「イグの無実を証明した人間」が、まさか真犯人であるわけがないという人間心理を利用しようと動いていたように思えてならない。
この作品において神と悪魔は近い存在であると言われ、イグも最終的には神化を経て完全な悪魔へ成り果ててしまうが、そんなイグを全く恐れることなく不意打ちからの三叉フォークで刺しまくる真犯人はマジでクレイジー。
それだけに、真犯人が処刑されるシーンは心からざまあみろ!という想いと、復讐という枷から開放され、安らかに果てるイグの最後を「素直なこころ」で受け入れることができ、とてもスッキリとした気分で終わることができる。
かなり血みどろな本編なだけに、神と悪魔の表裏一体性を体現する美しいエンドロールがより光るのもgood。
ディアッカ

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