昼行灯

生贄夫人の昼行灯のレビュー・感想・評価

生贄夫人(1974年製作の映画)
3.8
白いパラソルを差して歩く谷ナオミの後ろ姿のアップにタイトルが被さるのあっぱれー!『陽炎座』の周子が階段を降りるシーンを幻視した。脚本も田中陽造で同じ

前半はハードな演出が続くけど、排泄を便器の中にカメラを置いて撮ったり、縛られてる様子を上下左右自在に撮ったりする感じがダイナミックで楽しめた。縛られてる夫人をちょうど扉のフレームに収まるようにロングで撮ったり、また逆に扉の外に広がる山の景色をロングで撮ったりと、扉の存在を強調することで、情交が行われている空間を隔絶していた。

貞淑な夫人として描写されていた谷ナオミではあるが終盤では途端に自ら縛って欲しいだのぶってほしいだの言い出す。元夫はその言葉に引いて最後には自分から少女と閉鎖的空間から逃げ出してしまう。ここにSMの本質が現れているような気がしてならない。Sは加虐性を持つ存在だけど、Mもまた暴力を強要するという意味でSを困らせる。一見するとSMはSが上位に思えるため、Sは自分の立場を死守すべきだと思い、無理してMを虐げる。このときより快楽を得るのはMの方だ。SMは、構造と性質の間で反転を繰り返しているように思える。

ラストショットの谷ナオミは、縄で縛られた体全体を画面に映しながら1人で身をよじらせる。不敵な笑みを浮かべ、夫を笑う様子はもはや自体愛の形態に身を置いているようだ。この様子は、元々夫人が男なんかもうこりごりと言っていたことを思い出させる。夫人は途中から元夫を圧倒するようになったのではなく、最初から演技で弱い姿を見せていたのかもしれない、、
元夫がロリコンに走ったのは、女児が純粋な意味で従順な存在だからだろうな。女児は未熟ゆえにまだ主体性を持てないからね、、
昼行灯

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