【映像美】
美しい女優と、美しい映像を鑑賞する。そんな愉しみも映画の醍醐味。時代背景を含め、映像美を堪能した。
何しろ観てみたいと思ったは、自分が注目する女優の共演。タイプは全く異なるけど、いい女優さんだなとこれまでの作品で思っていたので、その二人の共演というだけで俄然観る価値ありでした。
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(以下、ネタバレ注意)
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本作は米国の人気作家パトリシア・ハイスミスが別名義で1952年に発表したベストセラーが元。別名義にしたのは、当時タブーだった同性愛を描いたものだったから。それが今、そのタブーも薄れた故の映画化と思いきや、その禁断性がクローズUpされることなく(時代背景的にお話の中では物議を醸しだしているのだけど)、ただただストレートな恋愛物語として観れます。
さて、女優さんたち。
ケイト・ブランシェットに注目したのは、アイルランドのダブリンで麻薬犯罪を追及し続け、1996年に犯罪組織に銃撃され命を落とした実在の女性ジャーナリストを描いた『Veronica Guerin』(2003)でのこと。それ以前の「エリザベス」、「ロード・オブ・ザ・リング」はまったくNo Careだった。なんとも言えない迫力、存在感が好きなんだけど、今回の貫禄ありっぷりも相当なもの。威風堂々過ぎて、華奢なルーニーと並んでいるとごっつさが目立って気の毒になるほど。美輪明宏かっ!ってなもんですよ(笑)
ちょっと危険な精神状態の美しき有閑マダムを存分に演じきっていて、お見事のひと言。終盤の調停での啖呵を切るシーンなんぞは圧倒される演技だった。
方や、ルーニー・マーラーはなんといっても「ドラゴン・タトゥの女」。衝撃的だったのは、その前に見ていた「ソーシャルネットワーク」にチョイ役で出てたと「ドラゴン~」の解説で知り「うわっ、まったくキャラが違う!」と驚いたこと。振れ幅がハンパない女優さんだと思った。
今回は、キャラ的には後者的な控え目な存在。ただ、その美しさ、清楚さは際立っていた。ケイトの迫力に押されないだけの内面というか、テレーズの人格形成の背景を感じさせるストーリーが挿入されていれば、もっと見事に演じただろうと思うけど、そこは主役と脇役の差か。
アカデミー助演女優賞にノミネートされていたので愉しみに観たのだが、この役でオスカー獲得は確かに難しい。彼女の演技力云々ではなく、ストーリー的に見せ場が少ないのだ。ルーニーにとって気の毒だったところ。
そして映像美。'50年代というので、すぐ思いつくのは最近見たドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター』。50年代のアメリカNYの市井を切り取った作風。映画は1952年のクリスマスのマンハッタンから物語はスタートする。インテリアや服装、街行く車などは当然当時の様子が丁寧に再現されているのだが、かなりのシーンでソール・ライターの作風を彷彿させる画面作りがされていて驚くのだった。もはや盗作疑惑でもかけられやしないかというほど、彼の作品へのオマージュに溢れていた。
そうそう、ルーニー演じるテレーズは写真が趣味。デパートの店員をしながらも、いずれはカメラで生業を立てたいと暗中模索する役柄なのも、この映画を観たいなと思った点。テレーズが撮る作品がイマイチなのが残念なんだけど、それはたった1枚、キャロルの寝姿を撮った写真を際立たせる工夫だったのかなとも思える。
土門拳がポートレートの極意は、モデルの情夫になって、その寝姿を撮るしかないと言っていたのを思い出す。禁断の壁を乗り越えた先で、芸の極みに近づいたテレーズの渾身の作品が、あの1枚だったのだろう(その後、彼女はデパート店員からタイムズ記者へと転身を果たす)。
で、写真家ソール・ライターとの関わり。鑑賞後、監督インタビューをネットで検索してみたら、ちゃんとコメントしてあり、ソール・ライターを意識した上での絵作りだったようだ。
「この映画では、世界を過度に美化しないようにした」(In “Carol,” we weren't trying to over-romanticize the world.)
と語り、ソール・ライターが得意とした、窓越しの風景、反射、水滴、窓の曇りなど、見通しの悪さや虚像と実像の相まった不思議さ(それはソールが意識した、画面の中に”謎”を含ませるという作風にも通じる)が、主役2人の行く末を案じているような独特の映像美を創りあげていた(We tried to create this sort of isolation of desire through the characters’ own views: diner windows, department stores, glass splattered with raindrops, street reflections, street lights, winter weather.)。
いやいや、美しき哉。なかなか眼福な作品だったとはいえ、二人の女性の感情の機微は、なかなか窺い知れぬ世界だった。
ケイトは確信犯的にルーニーに言い寄るのだが、ルーニーはいつ同性愛に目覚めたのかがイマイチ判然としないなど、もやもや感は残る。
そのあたりは知人の専門家に尋ねるとするか。あるいは、「リリーのすべて」を観て、更にお勉強だな(笑)。