Makiko

キャロルのMakikoのレビュー・感想・評価

キャロル(2015年製作の映画)
4.8
2023/06/07
新宿東口映画祭にて。原作『キャロル』(パトリシア・ハイスミス)の翻訳をされた柿沼瑛子氏と、映画ライターのよしひろまさみち氏のトーク付。


2022/12/22
ロードショー(シアターキノ)、リバイバル(ユジク阿佐ヶ谷)、オールナイト(新文芸坐)、レンタルDVD(原作読了直後)、Amazon Prime Video(帰省時)、Netflix(布団の中)、ウォッチパーティ、クリスマス上映(シネクイント)、セルDVD(思いつき)、遠征(京都みなみ会館)←new!
就職してから観るのは2回目だが、慣れない場所で仕事を始めて心が死んでしまったのか、今までで一番「ハマれない」キャロルだった。夜行バスで京都まで赴き、コーヒーで眠気を誤魔化しながら観光した後に映画館へ辿り着いたので、今までで初めて「睡魔と闘いながらの鑑賞」となったからかもしれない。(奇しくも?幸い、睡魔が襲ってきたのはどれもリチャードの登場シーンであった)
曇った目を通して観ると、この一見美しい『キャロル』という映画からは、テレーズやキャロルの狡さであったりとか、ふたりとは対照的に描かれる、街中やパーティーでの「醜い」「いかにもな」レズビアンの姿が襲いかかってくる。
と同時に、リチャードやダニーの語る「恋愛のメカニズム」的理論になんとなく理解を覚えてしまい非常に嫌な感覚を覚えた。
もしテレーズが孤児(原作では親に捨てられたことが仄めかされている)ではなく、キャロルが娘の親権を巡って争っていなかったら、ふたりは恋に落ちていたのだろうか。そもそもあれは恋なのか。恋とは、結局互いに欠けた部分を埋めることにすぎないのだろうか。
と、ここまで考えた時点で今の時点で答えを出すことは難しいと悟った。アビーみたいな大人になりたい。

2020/12/28
7回目。前回とは別の人と一緒に観たからか、少し異なった視点から見られたような気がする。
今回はだいぶキャロル目線。母親としての立場を選ぶか、自分の心に正直に生きるか。ケイト・ブランシェットの来日時に「母親と女優を両立するのは困難ではないか」と質問した女性アナウンサーがいたのを思い出した。ケイトは「私が男性ならそのような質問はされない。何故か女性だけが“どちらも完璧にこなせ”というプレッシャーを与えられる」と言っていた。『キャロル』の中に描かれた苦しみは現代でも断ち切れていない。

テレーズに関しては、この人モテモテだな……と改めて感じた。彼氏、彼氏の友達、キャロル 、パーティーの女性客…男性からも女性からもアプローチを受けて、悩み抜いた結果「やはりキャロルしかいない」となる展開から、この作品の重要なテーマが「運命の出会い」であることを再認識した。
レコードを買うシーンでテレーズが女性の二人組を見るショットだったりとか、リチャードに「“そういう人“じゃなくて、同性同士が突然恋に落ちるってことは誰にでもあり得る?」と言うそのセリフから「自分がレズビアンである」ということを認めたくない様子もうかがえる。性的少数者が「病人」と認識されていた当時のアメリカの窮屈さを表す要素として迫ってくるのはもちろん、「レズビアン」と言うワードがタブー視されている現代の日本に置き換えて考えても、こういった葛藤は非常に現実的なものだと思う。


2020/11/16
劇場公開時、特集上映、オールナイト上映、レンタル、配信等合わせて6回目くらいの鑑賞。一年に一回以上は観ていることになるしそろそろ円盤を買うべきだろうか…。今回はウォッチパーティで。

完璧。全てが。照明の当て方、音楽の入れ方、カメラの動かし方、役者の表情、仕草、小物、衣服、脚本……!
観るたびに新しい発見があって、自分が微妙に変化しているのがわかる。全然飽きない。ずっと好き。

台詞の応酬や反復がいい味を出す。視線の動きなどのディテールが細かくて丁寧。
序盤で映写室から観ているのは『サンセット大通り』、過去にとらわれ続ける女の物語。終盤のパーティで流れている音楽はショパン「別れの曲」のアレンジ。

虚無や困惑といった複雑な感情表現が絶妙にリアルでドラマチック。運命の人に心を揺さぶられ、涙を流し、懸命に生きるテレーズ。そのいじらしい姿を見守るような鑑賞の仕方になった6回目。
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