Torichock

君が生きた証のTorichockのレビュー・感想・評価

君が生きた証(2014年製作の映画)
4.5
「Rudderless/君が生きた証」

この世界には、どうあがいても逃げ切れないような悲しみがあって、それだけでもやり切れないのに、その悲しみの全てを背負い続けなければいけない苦しみもあって。
それは、自由とか恐怖とか苦しみとか盾にして逃げ切れるようなものではなくて。


「セクシーボイス・アンド・ロボ」という、ちっとも売れなかったTVドラマにこんなセリフがあった。

主人公14歳のニコが、三日坊主という人物に自由を与えてあげた結果、三日坊主は死んでしまう。
その事実を知ったニコが

"わたしのせいだ、わたしが三日坊主に出会ったからだ、あの角を曲がって三日坊主と出会ったからだ、あの角さえ曲がらなければ、三日坊主は死なずに済んだんだ"

と自分を責めるシーン。
それを聞いていた骨董品店の主人マキというおばさんが、14歳の女の子にこう言った。

"そうよ、あなたのせい。あなたのせいで、三日坊主は死んだの。だって、あなた一人で生きているわけじゃないもの、この世界にあなたは関わっているの。どうしようもなく関わってるのよ"


誰かの傷、誰かの暴力、誰かの痛み、誰かの悲しみ、誰かの不安、誰かの未来と、失われた誰かの未来。
それは、直接どう関わっていようが関係なくて、肌の色の違いや誰かと誰の違いを描いた差別とかパーソナルな問題ではなく、人と人が関わっているこの世界には常に起きているし、誰にでも起こり得る出来事。


誤解を恐れず言いますけど...。
この映画に怒りを抱いたり感動ができる人は、人死にが出るような事件とか事故があったとして、被害者側でも加害者側でもどちらでも特段仲良くしていたわけでもなくて、殺した側の人と繋がりがあるわけでもなくて、親族でもない人たちの中にいる人で、関係者じゃない、だからこそ葬式で泣ける人なんじゃないかなというか。
もっと身近に言えば、これはその事情と僕たちは思ってる以上の距離感あるし、言いづらい表現だけど、例えるのなら、ニュースに憤りや怒り、喜びや悲しみをしっかり感じれる人というか。
それは、決してバカにしてるんじゃなくて、
目の前に映ることに対して、誰かに想いを重ねて見ることができる人という感じ。
僕にあるのは、その出来事が起きてしまうことに対してのやり切れなさや、怒りや悲しみで。
うまく言えないけど、それは似ているようで成り立ちは違う。

僕にとっては、このやり切れない話は、感動とか出来るような距離よりももっと近くて苦しい、でも優しくて温かくて、だからこそ残酷でさえある、そんな時間だった。
だから、一口に涙は流れなかった。
でも、心臓が止まるかと思った。

感動して涙を流す人も
何を思えばいいんだろうと思う人も
やり場のない苦しみに悶える人も
全部ウソじゃない。
でも、これで何も感じないのなら、もう映画を見る資格がないとさえ言い切れるくらいのなにかでした、僕にとっては。

ネタバレの仕掛けは序盤で気づいたけど、僕にとって、そこは重要ではなかった。

それよりも、
大切な人を失ったということ。
その苦しみや悲しみから目を背けていたこと。
大切な人を失ったことで生じた苦しみや悲しみを支えてくれた人さえも、失うこと。
全ての罪を背負わなければいけないこと。
なぜ、こんなことになったのか?それを聞いてやることも出来ぬまま、全ての罪を背負わなければいけないこと。
残された歌だけが、唯一その想いを重ねられると思って、歌い続けること。

そして、
その全て、逃げ切れない苦しみや悲しみを受け入れること。

受け入れる

そのことで、サムは息子の生きた証を知り、世界に戻ってくるというところが、最も大切な瞬間だった。

彼が、受け入れた瞬間が、一番切なくて苦しくて悲しくて残酷で、一番優しくて、この映画の意味が詰まっていたように感じた。

"Rudderless=あてもなく漂う様"

多分、映画の中で僕が見たものは、生きてるとか死んでるとか関係ないというところだと思った。
うん、人生なんてそんなものなのかもしれない。

死に別れたり、疎遠になったり、突然姿を消してしまったり、、、たくさんのこととたくさんの条件とたくさんの意味があって自分の前から消えしまった人を想う。

何を見たのだろう?
何を感じたのだろう?
何が望みだったのだろう?
何をしてしまったのだろう?
何ができただろう?
何をしてやれただろう?

それに対して、人はいつか折り合いをつけて生きていくのだろう。

でも、でもね、その旅路の中で、あてもなく漂いながら、出会っては去っていく人たちが見ていた世界や色や景色や想いを感じ、それに思い馳せ、重ねながら、いつか受け入れていくんでしょう。
傷つき、ボロボロになって、それでも受け入れるんでしょう。
なぜなら


僕は一人で生きているんじゃない


から。

幾つもの"あの角"を曲がって、受け止めて、僕は今ここにいる。
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