【行為を軸とした3つの感情について】
動画レビュー▼
https://www.youtube.com/watch?v=bLkdxY7JZDY&t=122s
ハッテン場でわたしは2度狙われる(実体験を有料noteに書きました)▼
https://note.com/chebunbun/n/nde2e6a001a83
森に車がやってくる。男は茂みを抜け、湖のほとりへと辿り着く。裸の男、湖に入る男、群れから離れたところで佇む男へと目を配る。湖へと入り、くるっとほとりを見渡し、まるでジョーズのように狙いを定めてにじり寄る。ここはハッテン場。男と男の眼差しが交差し、様々な感情が交錯する場所なのである。フランクは小太りな男アンリをメンターとしながらハントを始める。お目当ての男を見つけて追跡し、茂みへと入っていくのだ。茂みでは結ばれた男同士がセックスに励んでいる一方で欲望高まる男たちが幽霊のように徘徊している。フランクがお目当ての男には、既に相手がいた。落胆する彼が振り返ると、マスターベーションしている男が目をときめかせながらこちらを見ている。だが、趣味ではない。満たされない欲望をアンリへ吐露しながら結ばれる日が来るのを待ち、連日のようにこの湖へと降り立つ。そんなある日2つの事件を目撃する。1つ目は、夜の湖で殺人が行われる瞬間を目撃したこと。2つ目は、ついに念願のセックスパートナーができたことだ。しかし、そのパートナーは殺人犯かもしれない。そんな疑惑が感情を搔き乱すのであった。
フランスの鬼才アラン・ギロディ代表作『湖の見知らぬ男』は、ジャン=ピエール・メルヴィルさながらの目線によるアクションで見る/見られるのサスペンスを生み出す。そして、本作はアラン・ギロディの代表作でありながら異色作でもある。『キング・オブ・エスケープ』『ノーバディーズ・ヒーロー』『ミゼリコルディア』では一貫して行為の未遂を軸にして物語を進めていくスタイルが取られている。行為が達成される一歩手前で第三者に妨害される。本能が蠢く場として森や寝室が使われる一方で、他者の侵入を許す場としても機能しているため、主人公の欲望は満たされないこととなる。
しかし、『湖の見知らぬ男』では行為が達成されるのである。もちろん、序盤ではアラン・ギロディ映画の方程式に従い、行為は第三者の眼差しによって妨害されていく。だが、セックスパートナー・ミシェルとの行為は確実に達成されていく。これはどういうことだろうか?本作では「行為」を軸とした3つの感情をサスペンスのトリガーとして見ることができる。
1つ目は、「本能」である。他者とセックスをしたい欲望を引き起こすためにフランクは湖や森を彷徨い、そこにいる男たちに弄ばれながら本能が刺激されていく。
2つ目は、飽きてしまうかもしれない「懸念」である。ミシェルと激しくセックスする中で飽きてしまうかもしれない状況について話す場面がある。情熱的なセックスは陳腐化して退屈なものとなってしまう。行為が達成される前の欲動が失われてしまうかもしれない。そういった懸念がフランクに付きまとうのである。彼はそれを跳ねのけるようにミシェルへ肉体をぶつける。
3つ目は、「恐怖」である。ミシェルを愛したフランクであったが、殺人犯である可能性。実はミシェルがホモフォビアである恐怖が頭の片隅に残り続けるのである。本能として彼を求めつつも、自分起因で飽きてしまう懸念と他者起因で自分が危機にさらされてしまう恐怖との宙吊りがサスペンスとして機能しているのである。
つまり3つの行動と心理の関係性を描くためにアラン・ギロディ監督は、行為の達成を描いたといえよう。