世界から彼女と友達と猫がなくなってしまったらもう生きる意味がなくなってしまうのは僕と同じ。
そこにあるのは趣味の違いだけ。
最近、物語を表層的にありのままを受け入れて観るのか?製作者の意図を探りながら観るのか?
割と悩んでいます。
時間があれば、頭空っぽにして物語だけを追い、2回目に製作者の意図を探るように観るのが楽しいのでしょう。
僕はそう思います。
ですが、時間は皆に等しく平等でエンタメは次から次へと生産されていっている。
たくさんのものを観たい、という気持ちちょーよく分かります。
面白いものを発見する喜び、そしてそれ自体が面白いという何重にも連なったhappyがそこにはあります。
最近、エンタメに消費される人生が果たして幸せなのか?
という疑問が降って湧いてきちゃいまして。
割と観たくもない映画を義務的に観る瞬間が訪れちゃったりすると、もう時間を無駄にしているように感じるのですよ。
ちょっと暗い気持ちになったりなんかして。
不毛だな、と。
どこかで取捨選択をきっちりしなきゃならない時が来たのかもしれません。
でもね、わざわざ評価を調べて点数が高い映画だけ観ようとは思わんのですよ。
僕は面白いと最初から分かっているものにそそられない。
当たりくじしかない人生って、僕は楽しめない。
ハズレがあるから当たりが嬉しい。
今年、衝撃を受けたある映画を1ヶ月毎日観ていたという体験が僕の思考を新しいフェーズに持っていったのかもしれない。
変化の時、かもね。