YukiYamada

草原の実験のYukiYamadaのネタバレレビュー・内容・結末

草原の実験(2014年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

学生映画をやっていた時代に、ほぼセリフなしの作品を監督したことのある私だが、いまだセリフなしでの演出に積み残したものがあったんじゃないかと思い鑑賞。

まず映像美をおさえるという点。セリフという情報量が削られたということで、そのぶん他に魅せる部分がなくてはならない。これはクリアして当たり前、といっても過言ではないと思う。この点に関しては非常に高い水準で撮影が行われていたと思う。BGがほぼ草原オンリーなのに対し、よくあそこまで美麗な画を維持できたものだと思う。
それに大きく貢献しているのは、主人公のエレーナ・アンの存在だろう。驚くことなかれ、どのカットを見てもパーフェクトな収まり具合である。私は一瞬でこの女優の虜になってしまった。
これはスタッフが彼女を相当に愛していないと出来ない芸当であるし、彼女の持った女優としての資質がなければ不可能なことである。これには参った。
彼女の次回作が待ち遠しくて仕方がない。

音に関してだが、これは特筆してスンバラしくディテールにこだわっていたという印象は受けなかった。ただそれはたぶん、草原という特殊な環境下で行われていた映画だからであり、人の息遣いや細かな音まで入れていたのは、とても繊細にどの音を入れるか、ということを考えていた結果なのかなと思った。

本作を見て思ったのは、繰り返す日常と、そこからの脱却を望むエレーナ・アン、そして最後に迎える日常の崩壊という一連の流れを踏まえて、観客がつねづね退屈しているであろう日常へ意識を向けることを狙っているように見えた。
純朴な見かけに騙されがちだが、エレーナ・アンは単に状況に流されているオンナノコのではなく、若い兵隊が現れて以降は、明らかにクソど田舎での親父との二人暮らしから解放されたがっていた。
車で分かれ道まで行き、おそらくはフィアンセになるであろう田舎モンの馬乗りに拾われて彼の家に行く。この行程が二回繰り返して描写されていたことには明らかに意味がある。若い兵隊がその繰り返しの中に現れてからの変化は、非常に明快だ。家の中にツバメの巣が作られていて、家中を飛び回っている鳥をわざわざ設置するなど、あからさますぎる小道具もぶちこんできている。
馬乗りのにーちゃんと結婚すれば、これまでの生活がまた繰り返すことは明らかなのである。なので、エレーナ・アンは冒頭で親父が憧れていた飛行機乗りをいやでも連想させる若い兵隊とくっつくことにするのである。馬乗りのにーちゃんはエレーナに対し、古クサいネックレスで求婚するが、若い兵隊は写真を家の壁に投影して、その写真をエレーナにプレゼントするのである。若い娘にとってどちらがスマートで心惹かれる未来を予感させるかは明白である。
ところが若い兵隊と結婚していざ生活が始まるとなると、ふたりはひたすら同じ文様のあやとりをすることになるのである。二人仲睦まじくイチャコラしているはずなのに、エレーナ・アンの顔は晴れない。結局、もとのようにエレーナを退屈が襲っているのである。
そこに草原の実験がやってきて、全てが崩壊する。
毎日登っては沈むという不変の真理であるはずの太陽が一度姿を見せた後、またすぐに地平線の向こうへ消えていってしまう1カットはまさに、永劫回帰の終焉を象徴していると解釈されると私は考えた。
そこで観客は、自分の選択した、いま存在する日常の価値へ、じわりと意識を向けるはずだ。
ラース・フォン・トリアーの「メランコリア」を一度見ていれば、エレーナ・アンの心境はよくわかるに違いない。

そういった仕掛けを見せるためにただひたすらセリフなくストーリーを進めていた本作の効果はかなりあると考えられ、単にアートとしてだけでなく、なかなかよく考えられた作品だったなあという印象である。

ただ、やはり少し構成やモチーフがあからさますぎたこと、そしてキーとなるアイテムである原子爆弾がマクガフィンの域を出ていなかったのでは?という感覚を覚えたこと(アイテムのチョイスとしては文句ないけど)、困ったら若干サイレントっぽくしておけばいいか的なシークエンスがちょっぴり見られたこと、などから、もう一歩、なんとかできたんじゃないかという期待も込めてこのスコアとなった。(あと、エンディングの歌でちょっと笑ってしまったので)

かなり好きな映画ではある。