watanabe

ズートピアのwatanabeのネタバレレビュー・内容・結末

ズートピア(2016年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

最近ではありのままの自分でいい、他人に認められる必要なんてないというような言葉をよく耳にしますが、この映画にはその言葉の真意を軽快かつ丁寧に教えてくれるある種のリアリティを感じました。


例えば制作側は、ジュディの両親のキャラクター性に関して、とりあえず娘の背中を押してあげるようなキャラ設定にしても良かったはずです。もっと言えばこちらのキャラ設定の方が好感度は上がると思います。
しかしそれをせず、若干盲目的になっている娘に将来降りかかる危険を憂い、別の職業の道を示しながら説得する姿は、娘を大切に思っている両親の気持ちが伝わってきてとてもいい描写でした。

また、市長を捕まえた後の記者会見のシーンでは、ジュディとニックの幼少期に受けた辛い経験がフラッシュバックするような展開で、両種族はいくら表面上言葉や思想で取り繕うとも、お互いに拭いきれない不信感があることを示していました。
更に副市長はその思想の危険性から最終的にはヴィラン側で裁きを受けますが、元はと言えば副市長に対する市長の対応が原因であり、明らかに副市長を軽視している言動や扱いは目に余るものがあります。そしてこの問題については副市長逮捕後も大して追及されず、結局市長は軽い反省を促されただけで社会復帰し、副市長個人に対する贖罪はないままエンディングを迎えてしまいました。

そんな両種族の抱える根深い問題に努力と精神力で強く立ち向かっていくジュディの姿には本当に感動しますし、そんな彼女のおかげでニックは1度捨てた人生を取り戻すことが出来ました。
一見正反対であっても、徐々に互いの欠点を補い合いながら成長していくバディモノの醍醐味を持ち合わせつつ、現実にも通ずるような問題を分かりやすくかといって押し付けがましくなく描いたストーリーはディズニー映画の中でも随一の爽快感でした。

昨今は多様性という言葉が各地で聞かれ、その内容は良くも悪くもエンタメの世界にもかなり大きく関わっているように思います。ディズニーはその中でもより誰もが生きやすい世の中のためにその先頭を走り、時には大量の非難を浴びせられることもあるでしょう。

多様性という言葉自体の考え方は素晴らしいのに、その多様性を表現したいあまり映画としての「面白さ」が十分ではなくなってしまうことや、今までのシリーズで積み重ねてきた「歴史」を破壊してしまうことが原因だと考えられますが、そのような作品はかえって多様性という言葉に偏見を持たせてしまうという深刻な問題にも繋がりかねません。
これからもそういった問題はしばらく続きそうですが、この作品を制作したディズニーならば、多様性という言葉を使わずとも誰もが当たり前に生きていけるようなそんな理想的な世界を実現できるのではないかと、この作品を観て感じました。

2も期待しています。
watanabe

watanabe