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モアナと伝説の海のRenのレビュー・感想・評価

モアナと伝説の海(2016年製作の映画)
3.0
劇場鑑賞ぶりに再見。選ばれし者の物語として始まり、選択とアイデンティティの物語になっていくシンプルかつ着実な映画だった。『塔の上のラプンツェル』や『アナと雪の女王』、『ズートピア』でさえ匂わせていた恋愛の香りを女性主人公周辺からごっそり排除した稀有なディズニー作品。

メインキャラクター達が、揃いも揃ってアイデンティティを喪失もしくは抑圧された状態で幕を開ける。テ・フィティは心を奪われ、マウイは彼の武器である釣り針を失い、モアナは村の決まりの下に ”海への憧れ” を諦めざるを得ない状況。テ・フィティの心を返しに行く道中でモアナとマウイが自己と向き合って自己を自覚し自己を獲得していく話である。
バディムービーでありながら「個」の話に集約されていくのが面白い。広大な海が舞台なのに最もドラマチックなのは登場人物の顔のどアップである点も象徴的だった。

始めのうちはモアナをアイデンティファイするものが「村長の娘(血縁)」や「海を渡って心を返しに行く(使命)」だった。しかしある展開の後、彼女は使命でなく選択によって物語を結していくことになる。他力本願でなく、自らの気づきを活かして自らの手によって問題解決を行う(ここで文字通り ”道を切り拓く” のが映像と心情のリンクとして気持ち良い)。使命を達成するけど、それが最終的に自分の意思で行われたものであることが大切。

マウイは自分を自分たらしめる釣り針を失くしており、釣り針が無い=マウイではない、としてアイデンティティの所在に悩んでいるキャラクター。釣り針は履歴書のようなもので、今作は、後乗せのスペックを振りかざして大きな顔をしていた人間が、自分自身であることに比重を置けるようになるまでの映画だった。そのきっかけは言うまでもなく一人で前進し続けたモアナだ。
ラスト、彼にとっての釣り針は良い意味でただの移動手段としての道具に成り下がる。
(序盤、マウイはマッチョな男性性の象徴として描かれていたようにも思えた。他人の心を盗んで自分の持つ力を誇示して生きていたキャラクター。そう考えると釣り針は男性器のメタファーか?....というのは陰謀論でしょうか?)

残念な点は、単純に長いこと。『ベイマックス』や『ズートピア』よりも長い上映時間が必要だとはどうしても思えなかった。
ロードムービーだけど途中のハプニングが2個しかなく、さらにそこで話が止まってしまっていて何の時間だろうと集中が切れてしまった。思いっきり中弛みしているのは今作の明確な弱点だと思う。

その他、
○ 事故的にヘイヘイと旅することになったモアナ。最初、彼女がヘイヘイに抱いていた足手纏い感はそのままマウイがモアナへ向けていた視線と同じで、お話の繋がりとしてスムーズ。
○ 海への憧れを抱くモアナと、島のてっぺんに村長が石を積んでいく村の風習。水平方向と垂直方向の対比が洒落ている。
○ ラスト、彼女がその風習とどう向き合ったのかのアンサーが良い。自立の物語だけど過去やしきたりの否定はしない。
○ モアナのキャラクターデザインも良い。ロングヘアー、丸みを帯びた女性的なラインが強調されており、自立した女性を描くのに所謂 ”女の子・女性らしさ” を否定するようなことはしていない。
○ 十数年前のディズニーがこれを作ったら、モアナへ想いを寄せる島の若い青年が出てきそう。そういう要素を削った英断。
○ 同時上映の短編作品は『インナー・ワーキング』。日本のサラリーマンにインスパイアされ製作された、毎日のルーティーンに疲弊していく人間を ”内臓” から描いた個性的な作品。今思うと、自我・自己の話として本編に通底するテーマだった。Disney+で観られない意味が分からない....。配信して....。
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