きむ

トイ・ストーリー4のきむのネタバレレビュー・内容・結末

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

ウッディは新しいアイデンティティを見つけた。
「持ち主と遊ぶこと、持ち主に寄り添うこと」から「ひとつの人格として、人生を歩むこと」
あれだけ持ち主にこだわっていたウッディが、ボニーのもとに帰らず、ビープと一緒に過ごすことを決断したラストから、それが分かる。
もちろん影響を受けたのは、野良おもちゃとしてイキイキ生きてたビープ。
新たな価値観に触れ、ウッディのアイデンティティは揺らぐ。
そこに、ギャビーギャビーの一連があったことが極めつけとなる。
ギャビーギャビーの一連とは、ウッディにとって何だったのか?
ギャビーは、ずっと理想を描いていた。
ボイスボックスが治れば、大好きなあの子に遊んでもらえると。
自分のトリセツを眺めながら、ウットリする。
ウッディも誰もが疑いなくそう思っていた。
ウッディは犠牲を払い、ギャビーにボイスボックスを渡す。
でも現実は違った。
ボイスボックスの問題ではなく、あの子は、ギャビーを必要としてなかったのだ。
当然のこと、子供もおもちゃを選ぶ。
そして、その後、ギャビーは理想のあの子とは正反対のような女の子から選ばれる。
選ばれるだけでなく、ギャビーは女の子の勇気になった。
ウッディはここで学んだはず「理想は必ずしも正解ではない」
ウッディにとっての正解はいつも「持ち主に愛されること」だった。
必ずしもそうではない。
ウッディの中で、ひとつのシーズンが終わり、新たなシーズンが始まったのだ。

実は、映画冒頭からもそれが分かる。
あれほど、アンディに愛され、最も遊ばれていたウッディも、ボニーのおもちゃの中では下位。
大切にされてないわけじゃないけどね。
子供にとってのおもちゃなんて、こんなもんだよね。
ずーっとイスに座ってる。親父に踏みつけられる。
ウッディは絶望していない、こんなもんだとわかってるから。
でも、どこか、心にポッカリ穴が空いたような虚しさを覚えていたはず。
かつての栄光が眩しければ眩しいほど、いまが、クローゼットに取り残された今が、薄暗く刺さるのだ。

ウッディはボニーの1番になれていないけど、ボニーを一番幸せにしようとする。
父親のように。
幼稚園で、試行錯誤する、その結果生まれたのがフォーキー。
ウッディは、このフォーキーにある意味、異常な執着を示す。
自分をゴミだといい、ゴミ箱に飛び込むフォーキーに「きみはゴミじゃないオモチャだ」と繰り返す。
そして、おもちゃの素晴らしさを伝える。
フォーキーのため、ボニーのためと思って。
なぜフォーキーは、自分をゴミと言い続けたのか?
フォーキーは無垢状態だったと考えられる。
生まれたての赤ちゃんのような。
だから、本能のままでしか行動しない。
本能がゴミ箱に捨てられろと告げるから、ゴミ箱に入ろうとする。
そのフォーキーに、ウッディは繰り返し教育をする。
「きみはボニーのオモチャだ」
自分がおもちゃである喜びを知っているから、それをフォーキーにも知ってもらいたいから。
ボニーに幸せになってもらいたいから。
しかし、このウッディの行動は過干渉な部分もある。
繰り返す「きみのため」という歌がそれを助長する。
きみのため、と言いつつ、僕のためなんだ。
持ち主に遊ばれなくなったウッディは、新たな価値観が頭をかすめはじめる。

印象的なのは、フォーキーが「抱っこして」と頼み、ウッディが「ダメ」と即答するシーン。
かつて、フォーキーは抱っこされる喜びさえ知らなかった。
なぜなら、あまりにも無垢だったから。
しかし、少しずつ時が流れることで、フォーキーも「抱っこして」という欲求がうまれる。
ウッディは最初こそ断るが、いっしょに夜の道を歩き、語り続けるうちに、「抱っこして」と言われなくとも、いつの間にか抱っこしてるのだ。
それをさせたのは、信頼関係。
互いの内側を吐き出したことで、信頼関係がつくられていったのだ。

フォーキーは最後、ボニーが作ってきたフォーキーの女子版に「きみはおもちゃだ」と教える。
受けたものを渡すのだ。
ウッディの教育は間違っていなかった。
愛されたから、愛し方を伝えられるのだ。

ベンソンこわかった。
きむ

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