Jeffrey

死んでもいい経験のJeffreyのレビュー・感想・評価

死んでもいい経験(1995年製作の映画)
2.0
「死んでもいい経験」

冒頭、教習所の出来事。不妊を家族に咎められ離婚された女。事故で一人息子失う、若い男に狂う女、二人の女が偶然出会う。互いの夫を破滅、計画、火事、セックス、卑小で猥雑な人間ら、営みに重なる架橋工事の音。今、複数の人間模様が残酷に写し出される…本作はキム・ギヨンが一九九五年に監督した遺作であり、この度BDボックスを購入した初鑑賞したが、どうしても火曜サスペンス的な地上波のドラマにしか見えない。実際監督自身この作品の完成度に失望して封切りを断念し、劇場公開が叶わなかったと言うこともあり、フィルムはお蔵入りになり、監督が亡くなった後に釜山国際映画祭で初めて大衆に公開されるまで、存在が知られなかった幻の映画として有名だそうだ。確かに映画自体は退屈で水準に満たないと思われる。というのも監督の初期の傑作に比べるとの話だが。

かくしてタイトルも、「天使よ悪女になれ」が改題前で、製作年表もいくつかある曰く付きの作品である。でもこの映画の内容は非常に面白そうだなと見る前の前情報で知った時はワクワクしたんだが、実際見てみるとゲンナリしてしまう。もっと面白く作れると思うのだが、基本的に交通事故で息子をなくし、夫を憎む中年の人妻と子供に恵まれない結婚五年目の若妻と言う二人の女性が自動車教習所で出会って、交換殺人を持ちかけると言う話なのだが、どうにも面白みに欠ける。一応メタファーもあるようで、というかソウルオリンピック前後に作られている分、色々とオリンピック大橋のショットなどが映し出されたり反映しているのも韓国社会の事象をにじませているのではないかと思われる。

さて、物語は不妊を家族に咎められ離婚された女。事故で一人息子失って若い男に狂う女。二人の女が偶然出会い、互いの夫を破滅させるために計画を立てる卑小で猥雑な人間たちの営みに重なる架橋工事の音…と簡単に説明するとこんな感じで、女同士の関係性を浮き彫りにした殺人サスペンス的な映画であった。キム・ギヨンはネオリアリズムに影響受けた文体で、戦火に生きた人々を描いた作品をもっと撮ったほうがよかったかもしれない。そっちの作品の数々の方が韓国文芸映画として非常にクオリティや価値のあるものだと感じた。とりあえずつまらない映画も結構今回のボックスにはあったのだが、他の作品もぜひ見たい作家であることには違いない。早く日本でメディア化することを願うばかりである。



本作は金綺泳(キム・ギヨン)監督の遺作にして怪作とされる一九九〇年の作品で、この度国内初ソフト(BD)され、4Kデジタル修復による高精細な映像で初鑑賞した。どうやら「ミナリ」で、米アカデミー賞助演女優賞を韓国で初めて受賞したユン・ヨジョンが出演しているようで、この頃はまだ若々しかった。1984年作「肉食動物」が興行的に惨敗した後、しばらくの間、監督業から離れていたギヨンが再び有星映画株式会社を自ら成立し、制作したのがこの作品である。映画の完成度に失望した監督が封切りを断念したため、結局劇場公開が叶わないまま、フィルムはお蔵入りになったそうだ。

98年2月の監督の死後、同年9月に第3回釜山国際映画祭で初めて大衆に公開されるまで、ほぼその存在が知られていなかった幻の映画として映画研究者の方々は述べている。未公開の遺作と言うことで、発見直後は話題を呼んだらしく、様々なインタビューや記事、数本の書籍において、この映画に対する言及はほぼなされておらず、制作年度の表記さえ1988年と1990年、1995年が混用されているのが現状らしい。なんでも、この複数の年代表記には、いくつかの事情もあったようだ。韓国映画資料院の調査によると、監督は、「天使よ悪女になれ」と言うタイトルで88年に製作開始を、翌年の89年12月に制作完了を文化広報部に申告し、さらに90年には等級審議を受けたが、公開が見送られたため、95年にタイトルを「死んでもいい経験」に変更して再び審議を申請したと言う話があると映画研究者のファン・ギョンミン氏は解説していた。

卑小で猥雑な人間たちの営みに重なって響く漢江の架橋工事の音が、強烈な印象残すとされ、プリズムワークスにより2021年2月に復元された99分の作品である。この映画の所々のショットを見ると、ギヨン的リアリズムを暗示する印があって、今までの女シリーズに集中するものがある中、また別な性的欲望と言うようなものと破局を象徴するメタファーでいっぱいである。時代的な文脈が動いている感じがする映画である。それはソウルオリンピック前後に、乗用車の普及率が急増に増加したためか、マイカーブームが見受けられる。それにしても韓国の文化というか伝統というか、古くなったら忘れてしまう扱いをする(例えば死んだ人の形見を持ったりしない)いきさつが、この監督の他の作品がいまだに発掘されない理由の1つだと思われるが、やはり日本のように映画文化を残そうと言う試みがそこまで当時なかったのかもしれない。今となっては文化を守るために国が全力で予算をつけて資金援助しているが、この監督の作品の初期作品などは、ほとんど映像が真っ黒になってしまい、途中で字幕オンリーになったりと、色々と映画じゃないような観るも無残な姿で登場している。
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