持て余す

ブラックパンサーの持て余すのネタバレレビュー・内容・結末

ブラックパンサー(2018年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

イバンベ!

シリーズ展開が多くなり過ぎた弊害で、マーベル作は鑑賞前に前提として知っておく(理解しておく)べきこと──娯楽作としては異常な情報量だと思う──がとても多いのだけど、熱心なマーベルファンやシンプルにこういう娯楽作がとても好きという人以外じゃないと、そろそろ気軽に全部見るのはしんどい量だね。

本作はマーベル・シネマティック・ユニバースの18作目だそうで、楽しみたいならそれ以前の17作は見ておくに越したことがない。でないと、断りもなく登場するシリーズキャラクターに戸惑いと疎外感を覚えることになる──などというのは殆どの人は知った上で鑑賞に臨んでいる(あるいは気にしないでいる)こととは思う。

ただ、他作も含めマーベル作品はエンタメの純度が高いというか、言い方はアレだけど「バカにも解るように作られている」から、シリーズ作さえ押さえておけば、道のりは長くとも特に難解ではない(筈だ)し、たとえ見ていなくても脳内補完でなんとかなりはする。

原作小説を読んだうえで映像化作品を見たりすると、色々とエピソード端折られていて「え、これで話解る?」と思ったりするけれど、未読の人に訊いてみると特に気になっていなかったりすることが多い。それに、立て続けに見たり何度も見返していたりしなければ、そもそも細かいところなんかは忘れてたりもするから、案外瑣末なことなのかもしれないな。

だから、「余すところなく楽しみたい!」という強い動機がなければ、どこから見たって構わないわけだ。ただ、そうしてしまうとおそらくこの『ブラックパンサー』は、単体では少し弱いようにも思う。

売りのひとつらしい「黒人の映画」という要素はエンターテイメント──娯楽作としては夾雑物だと感じる。社会問題に関する問題提起とか告発とかをすることと、純粋な娯楽というのは本来ものすごく相性の悪いもの(絶対とは言わない)だから、物語だけを楽しむ上では雑味になる。

昨今のハリウッドが人種やLGBTQへの配慮なんかを露骨にやるせいで、特に娯楽作の場合に違和感のある演出や配役が目につく。黒人にしてもアジア系にしても、物語として必要なら配役されるべきだし、そうでないなら意図や作為のような余計なものが画面の端にずっと映っているのと同じだ。慣れたら気にならなくなるのだろうけど、いまのところは少し違和感。

それだけ白人や男性によるによる“様々な何か”があったのだろうけど、それはそれで別立てにはならないものだろうか。人種問題もLGBTQも真剣に考えなければならない大切なことだけど、露骨なのはやっぱり萎える。

そうした要素を省くと、この物語は王家の後継問題と侵略への抵抗という実力のある物語作家が手を替え品を替え取り扱ってきた題材で、ヴィブラニウムもワカンダ国もカッコいい女兵士も、凡庸さを跳ね除けるには少し足りないように感じた。

だから、アカデミー賞に7部門もノミネートされたりすると、裏で蠢く不純な正義を感じてしまってがっかりする。

だから、続編でもっと純粋に面白い物語が綴られればいいなあと思ったけど、チャドウィック・ボーズマンが亡くなってしまったので、それももうムリそうな気がする。続編は作られるようだけど、主人公不在ではもはや無理のない展開は期待できない。

とても、残念だ。
もっと生きていて欲しかったよ。
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