目立った差別や偏見の描写(暴言など)がある訳ではなかったが
それが余計に
社会に静かに潜むハンセン病への偏見、差別を描いているように感じた。
徳江さんがハンセン病だという噂が広まり次第にお店にお客様さんが来なくなるシーンでは、
お客さんがいないお店の寂しい風景とは対照的に
美しい木々や太陽、明るい光の描写があり、余計胸が痛くなった。
店長さんは、服役中に母親と死別したと言っていたが、店長は徳江さんにどこか母親のようなものを感じていたのではないか。
そのため、徳江さんが亡くなった時の店長の涙からは、母親との別れを2度も味わっているように感じられた。
この世を見るために、聴くために生まれてきたのだとしたら、
何にもなれなくても
私たちは、私たちには、
生きる意味があるのよ
徳江さんの言葉と声はずっしりと重く、胸に響いた。
わたしはやっぱり
何者にもなれなくても、凄いことができなくても、
鳥、風、植物の声に耳を澄ますことのできる、心の温かい、徳江さんのような穏やかな人間を生きたい、と思った。