烏丸メヰ

シン・ゴジラの烏丸メヰのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
4.0
現代日本に現れた巨大生物。
その脅威は爆発を発端に海辺から川を遡上し、人々の生活圏、そして政治の中枢に迫る。

公開当時初日レイトショーと翌々日くらいのレイトショーで二回鑑賞。
今回が、配信で三回目。
蒲田に上陸した“それ”が後肢を踏ん張るあの瞬間まで、
「ゴジラがやってきてこのキモい奴と戦うんだろう」
と思っていた予測と、
「まさか」
となったあの衝撃は忘れられない。

再上陸時にゴジラの尾が電線の上にぐわーーっと翻る描写は、巨大感に加え
“もう尾を地面近くに引きずって歩く両生類的骨格、ではないのだ”
という生命体としての進歩を見せつけるお気に入りシーン。
生々しいのに冷たさの漂うゴジラデザインは、歴代で最も「驚異的な生態」を感じさせながら最も「計り知れなく、生き物とは思えない」雰囲気がある。
過程を経て大きくなっていった前肢が、最終的には天に向き、ほとんど攻撃の為に使われない(攻撃方法は移動と生命力と核熱)というのも、怪獣の見せ方として象徴的なものを思わされ、とても面白い。

冒頭でも書いたが、海の近くで爆発とともに始まり、生活圏を混乱させ、永田町に迫る……という脅威は、現実でのあの日を東京で迎えていた私には、福島の原発と放射能の暗喩だと、映画館で即座に理解でき怖くなった。
現場では有害な環境に命を削り立ち向かい懸命に脅威を抑え込もうとする人々がいて、政治家と現場の間で指揮を執る人々も思案で心を磨り減らす……。
被爆国として再び問われる“原子力”との共存。

本作はそんな、福島第一原発の事件をなぞる構成の中にあって、政治と現場に挟まれた作戦ブレイン達を“一種コミカルだが熱い変人達”として描いた所にフィクションとしての味つけ(=クセの強さ)がある。
ここは、全体に早口で専門用語やお偉いさん会議が飛び交うばかりの人間パートを、(恋愛やお涙頂戴抜きでも)一般層の「鑑賞に耐えうる面白み」として提示したのが絶妙なバランスと思えた。

核被害への忘却と、日常生活や国家運営における平和という慢心や無防備。
そこに現れた「天罰」として、また真剣に目を向けなかったせいでの「人災」として、劇中ではっきりとゴジラを考察するのも、ゴジラの理由づけとしてとても良い。

従来のゴジラを観ようと思ったことの無かった層までも動員し、賛否両論だった当時のムーブメントもまた、記憶として印象深い。
本作の、恋愛や家族といった「感情移入要素」をほぼ徹底して排した所に、お涙頂戴を感動とする人は抵抗があり『-1』の方にドラマティックさを感じるであろうし、原発のメタファーとして閉塞感ある話運びは、ゴジラ=子供向け、とか、怪獣が戦う華やかな特撮バトルが好きな人には暗く説教くさく感じるだろう。
だからゴジラとしてどれが優れている、とか、どのタイプのファンが素人で見る目が無い、とかではなく、
「ゴジラという媒体は様々に描かれてきた・いく作品で色んな作風に各々のファンがいて、色んな人が楽しめる」
のだと思う。
烏丸メヰ

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