垂直落下式サミング

無垢の祈りの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

無垢の祈り(2015年製作の映画)
4.2
夜の工業地帯を映した映像から始まり、錆びた工業機械が放つようなけたたましい機械音のBGMとともに、凶悪で非道徳な映画が始まる。
現実にある嫌なことを全部足して濃縮したかのような、劣悪な生活環境を映し、過剰に脚色されたフィクションの世界が、日本のどこかにありそうなリアリティをもって描かれている。
この世界の残忍性を一手に体現するのは、BBゴロー演じる義父クスオ。稲川淳二のモノマネをするピン芸人と言えばわかるだろうか。本作が劇映画初挑戦となる彼の存在感が画面全体を支配する。彼のDVシーンは真に迫るものがあり、普段から家族に暴力を振い慣れているかのような自然さで、母親を殴り、叩き、蹴りあげ、髪を掴み引き摺き回す。観客にこいつだけは早く地獄に落ちてほしいと思わせる邪悪の権化である。フミとの入浴中に彼が言うことは、都合のよい自己正当化ではあるが、間違ってはいない。彼が生きている限りフミに平穏は訪れない。それだけが事実であり現実だ。
学校でいじめられ、家庭では義父に虐待される日々を送る10歳の少女フミ。この地獄のような現状だけ壊してくれれば後はどうだっていい。とにかく、今ある苦痛を終わらせてほしい。何だって構わないから、自分を苦しめている業とやらをさっさと削ぎ落としてほしい。母親の影響か、無垢であるが故か、幼い少女は、連続殺人犯に救いを求め、犯行現場を巡るようになる。
冒頭で、痣だらけの体でランドセルを背負い、頭にガーゼを張り、片方の目に眼帯をした痛々しい様相で帰路につくフミは、路地裏でおじさんにいたずらをされる。しかし、家に帰ったフミはガーゼも眼帯も付けていない。よく考えると奇妙な場面である。映画の最後に、これはある壮絶な出来事の後の話なのだと、その時系列が観客に知らされる。つまり、あのとき救いを求める彼女に殺人鬼は鉈を振り下ろすことが出来なかった。人間的な情がそうさせたのか、少女の瞳に自身の悪意よりも純な無垢を見たからか。彼の真意は定かではないが、この場面が冒頭に置かれている時点で物語の円環は閉じられハッピーエンドなど訪れようがない。
一度悪辣な環境に身を置いてしまえば、そこから抜け出すことは容易ではない。オープニングとエンディングで文字通り物語が反転したところで、実際のところ彼女の現実はそれほど変化していないのである。そこが虚しく、恐ろしい。
自主映画的なチープさや青さを感じさせないのが見事な映画だ。