モデルは〝商品〟ではなく、あくまで動く〝マネキン〟でしかない。
あくまで〝商品〟は服やアクセサリーで有り、その〝商品〟をいかに美しく見せ引き立てるのが価値あるモデルの存在理由。
しかし、モデルそのものの容姿やスタイルに存在価値を世間は評価するという矛盾。
そういった意味でモデル自体が商品化されてしまえば、この映画のような出来事は現実に起こっても不思議ではない。
容姿やスタイルは作り上げることはできても、それをも超える内面から湧き出る〝美〟が人間には現実にある。
それが生まれ持った〝美〟は未熟だろうと関係なく、ダイヤモンドの原石のような魅力をもった人間は確かにいる。
そこが単なる〝マネキン〟では不可能な理由でもあるが、モデルも生身の人間がする必要がない時代もそう遠くはないだろう。
完成された美しい作られたモデルはもちろん、未熟であどけなく不安な瞳のモデルだって人工的に作れるだろう。
ただ美しさが永遠なら、それはまた美しさの価値は下がるだろう。
ダイヤモンドの原石が磨かれ輝きはじめる過程が美しく、それが永遠でないからまた美しい…ようするに寿命があるから儚い…だからこそ美しい。
映画の描きたいことは十分は伝わるが、残念ながらそれが表現不足に感じる。
なんかもうひと工夫すれば、もっと良くなる映画になりそうな気もし、配役なのか脚本なのか惜しい印象にある。
〈ホラー〉というジャンルに分類されているようだが、醜い人間の醜態を晒す人間ドラマにもなり得たのではないか..★,