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パプーシャの黒い瞳のzunzunのネタバレレビュー・内容・結末

パプーシャの黒い瞳(2013年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

冒頭の俯瞰した街並みから一気に、この美しいシャープなモノクロ映像に引き込まれた。シャープ映像なのに、描写そのものは抑制を効かせ、叙事的で品がある作品です。

((鑑賞後はパプーシャの詩集.兼解説本が売られていたので購入しました))

この作品では、歴史の転換期の狭間に揺れ虐げられるジプシー達の姿が絵描かれますが、話の焦点は1910年から1971年までの“読み書きが出来る”ジプシー女性パプーシャの生涯です。
((その為、ジプシーそのものを“むやみに”懐古的に美化し過ぎることなく、あるがままに描かれます))
パプーシャ生涯は悲劇的なのもと言えます。
僅か15歳で親子ほど年の離れた男に所に嫌々嫁がされ、その後はジプシーに匿われた青年イェジに勧められ詩を書き留め、のちに詩集が発表されるが『秘密を漏らした』として同胞から爪弾きにされ、孤独の中で精神を病む。
『読み書きさえ覚えなければ幸せだった』パプーシャのセリフが胸に突き刺さる。

この作品でとても興味深かったのが価値観の相違です。
最初、なぜジプシーは盗みをするのか分からなかったのですが、『神が造ったものは、みんなのものなので取っていい』と言った考え方が根底にあるらしく、その為に盗みを働く。
西洋的な所有の価値観からすれば相容れない価値観です。
逆に、ジプシーのことを歴史学的に記述する事は、西洋的価値観からすれば貴重な歴史的資料であり共有の財産と言った考え方が成り立つ。だが、ジプシー側からすれば『自分たちの秘密が白日の下もとに晒さらされた』として激怒する。
またパプーシャとイェジの創作に対する考え方も違う。
イェジから詩の原稿料を貰ったパプーシャは『詩はひとりでに生まれて消えるのに、詩でお金を貰えるなんて…』って困惑する。
彼女にとっては息をする事ぐらいに詩を書くことは極めて自然的な行為だったのかもしれません。((実際に彼女の詩はメロディーとともに歌として即興で生まれたそうです))
それに対し、山のように積まれた“ジプシーのことを記載した”本をパプーシャに『燃やして』と頼まれたイェジは『これは僕の作品だ』ときっぱり拒絶する。 苦労して出版にこじつけた事もあるが、何か名誉欲のようなものも感じられる。
豊かな才能に惹かれ合った2人だが、根本的に世界観が違うので真には分かり合えていない。
イェジ側からすればある種の善意がパプーシャを悲劇の淵を突き落とす事にもなる。
((映画には描かれてませんが、イェジは当初、政府によるジプシー定住化政策は正しく、その成功例がパプーシャだと自らの著書に記述したそうです。その後その考えが間違っていたと反省し、改正版でその項目は削除されます。政府に冷遇されているジプシー達は相当に反感を持ったらしく、イェジが如何にジプシーの境遇を理解仕切れてなかったかが分かります))

ジプシーの同胞から追放されたパプーシャが最後まで鶏を盗み続けたのは、ジプシーとしての“三つ子の魂百まで”なのか…何とも皮肉な感じで悲しくもあります。

イェジがジプシーの事を著書にしなければ、パプーシャの人生は悲劇的でなかったかもしれない。
でも、もっと上手いやり方があっただろうが、イェジが著書にしなければ、彼女に素晴らしい詩も、ジプシーの歴史も後世には残らず歴史の闇に消えてしまっていたのも事実です。

『学問も記憶もない、でもその方がよい。ジプシーに記憶があれば、辛くて死んでしまう』
このセリフがこの作品の中で最も印象的で、ジプシーへの迫害の歴史を物語っているようにも思えました。

映画館で観てこそ価値がある作品だと思うので、上映終了間際に岩波ホールで観れてよかったです。
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