蜘蛛マン

ブルックリンの蜘蛛マンのレビュー・感想・評価

ブルックリン(2015年製作の映画)
4.5
芯の通った素晴らしい映画だった。一人のアイルランド移民の女性を巡る「選択」の可能性と困難性の物語である。
感動したので以下長々と感想を述べる。

前半は、当時のニューヨークにおける社会階層の問題を背景に置きながら、主人公エイリッシュが主体性と「女性」を獲得していく話である。
もともと能力のある彼女は、夜間大学に通い、己の選択可能性を広げながら、生活を獲得していく。
そんな中、同じく社会階層的に恵まれているとは言い難いイタリア系の男性と出会い、恋に落ちるわけだが、アイルランドに帰郷せねばならぬ事情ができた時、彼女が彼に対して下した「選択」が極めて印象的である。
同じ寮に住むアイリッシュ女性たちがアメリカの消費文化を取り込み、社会に溶け込んでいく中で、エイリッシュのみが確固たる輪郭を持って日々を生きてきたからこそ、この選択は可能だった。
もしこれが並のエンタメハリウッド映画だったら、全く逆の選択を彼女にさせ「自立した輝く女性」を目指させただろう。手垢の付いた(それ自身が既成事実として構造化した)ウーマンリブはここが微妙で、真に自立した女性の選択は、着飾ってエリートと恋をして仕事して輝くことじゃない。社会の構造をまず所与の事実として受け入れ、しかしそれに流されず、もっとも自分にとって価値ある選択が出来るかがもっとも肝要だ。ここらへんでまずぐっときた。

後半は一筋縄ではいかない。「運命」(自分ではどうにもできない不条理をこう呼ぼう)によって故郷に帰る彼女は、アメリカで広がった視野をもって、故郷の美しさを再帰的に「発見」する。いい人なんかもできちゃって、老親の意図なんかも絡んで、彼女はアイルランドに留まるかアメリカに戻るか揺れ動く。
最終的に、彼女はあるきっかけが原因で最後の「選択」を行うが、これなんかは非常に微妙で、きっかけがなければこの選択はなしえなかったのかもしれないなんて思うと、どこからが彼女自身の「選択」なのか、その境界は非常に曖昧である。

「選択」を下すには、社会的な「背景」と、どうにもできない「運命」の複雑な関数を経由しなければならないが、それをどこまで読み切り、どういう数字を代入するかは、己自身である。考えてみれば当たり前だが、代入する数字の精度を上げるには、日々を主体的に選び、PDCAを回しながら、試行錯誤して学んでいくしかないだろう。

ラストシーンの美しさ。ブルックリンの煉瓦を背景に、暖かい光が彼女を射す。どんな「選択」をしても、あなたが一生懸命生きている限り必ず光は射すはずだという、ごちゅごちゃ上述したような話を吹き飛ばす、力強いメッセージを感じた。
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