極私的なことが普遍の地平へ拡がってゆくことこそが表現の素晴らしさだ。
『エンドレス・ポエトリー』を初めて観たときは大号泣でまさに上記のように思ったんだけど、よくよく考えるとそれは共感ではないんだよな。自分の狭さからすると全く共感などできないのだけど、圧倒的に打たれる。直球過ぎて打たれる。
出だしにぺらぺらの書き割りの町と汽車が現れて既に涙。ここには直球の、必要なものしかない。ホドロフスキーはこの世の残り時間が少ないと感じてて、とにかく直球で伝えたいことを詰め込んでる。そして現実にできなかったことを虚構の世界で実現させる。もう号泣。