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ボヴァリー夫人とパン屋のくりふのレビュー・感想・評価

ボヴァリー夫人とパン屋(2014年製作の映画)
4.0
【裁くのはパンだ】

あまり弾けぬ小品かな、と期待値下げジェマ目当てだけで臨んだら嬉しき誤算。沁み入る佳作でした。

原作者も女性だが、中年男の妄想を中年女が描いているのがポイント。監督の視座は妄想パン屋マルタンではなくその妻でしょう。始めからマルタンの企みは見透かし呆れた上で、妄想対象のジェマを女の視線から厳しく見つめています。

語り手(=見つめ手)はマルタンなのに、監督の視線の方が強いから男の妄想力は炸裂しない。

ジェマを見て10年ぶりに性欲が蘇ったというマルタン、下半身方面動きなし(笑)。たぶん監督にはピンと来ないのでしょう。本人は切実なのにね。だからマルタンの言動がペラくてちぐはぐに映る。主人公というより狂言回し。そこは弱いと思った。

面白いのはオバサン視線でジェマを、扇情的なのに冷やかに描くところ。本音では彼女の奔放さを裁きたいのではないか?…そう誘導されたのでオチには驚いた。

人為的に断罪せず「犯人はわかっているのに羅生門状態」に放り出した。巧い逃げ方だ。「共犯者」として残された男たちが、実にマヌケに映るけれど、エピローグを見る限りマルタン、まるで懲りておらず逞しいよね(笑)。

最後まで男ってしょーもない、と言い切るオバサン映画でした。

ジェマ・アータートンがいやーお見事。フレンチ視線で撮られると違いますね。ここまでナチュラルな表情、どこかとろんとした視線は初めて見ました。ボディの発酵ぶりも素晴らしく、パンより彼女の方が、ずっと美味しそう(笑)。

フランスでは「吸う」がセックスの時よく使われる言葉だそうですね。それを巧く生かした爆笑シーンもありましたが、パンで始まる本作、ジェマの運命もそうだし、口の使い方に重みを込めた映画でもありました。

結果的な視線の迷いは感じるものの、ちょっと久しぶりに、いいフランス映画をみたな、という気分です。ボヴァリー夫人、それは酵母だ(笑)。

<2015.8.2記>
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