せいか

ボヴァリー夫人とパン屋のせいかのネタバレレビュー・内容・結末

ボヴァリー夫人とパン屋(2014年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

05/25、Amazonビデオにてサブスク視聴、字幕版。
原題の「Gemma Bovery」は本作のヒロインの姓名をそのままタイトルにしたシンプルなもの。
フランス産コメディー映画ではあるけれど、ドッタンバッタンガハハということもなく、スンと澄ましたおとなしい作品の中にブラックユーモアを混ぜ込んでいくような内容になっている。
私自身は『ボヴァリー夫人』は既読している。

舞台は現代フランスはノルマンディーの、まあ田舎と言える場所である。主人公はもともとパリで暮らしていたものの、七年前に親の跡を継いでここの暮らしてパン屋を営んでいる中年(というかほぼ初老)の男で、妻と高校生くらい?の息子と共に暮らしている。ある日、ボロ家ともいえる近所の空き家にイギリス人夫婦が引っ越してきたものの、その名字がボヴァリーで、二人の名前もかの『ボヴァリー夫人』を連想とさせる名前だったために、主人公はみるみるうちに作品と彼らを重ねて見るようになった上、ジェマに静かに横恋慕するようになるのだった━━。
とにかく主人公の「まなざし」がはっきり言ってずっとキモい作品である。やってることも端から見れば野次馬根性と過干渉とセクハラな目つきでしかない。なんというか、田舎の嫌なところは何かというイメージで連想するだろうところを一人で何もかもこなしているような人間である。
また、主人公は田舎暮らしに軽率な夢を持ってやって来たけれども、現実はそんなに楽しいものでもなく、ただ漫然と日々を過ごしているらしいことが最冒頭で明かされていること、物語の世界を現実に無理矢理重ねることで自分にとって不満足な世界に色を付けようとすること、最後も結局、別作品と重ねられる新たな登場人物が自分の世界に現れたことでまた夢中になることから伺えるように、彼自身がボヴァリー夫人の一側面を負うているキャラクター付けになっているため、その彼がご近所さんに自分勝手な解釈を押し付けてボヴァリー夫人の役目を押し付けようとしているという構図が既にずっと皮肉な作品となっている。
なおかつ、彼は自分を支える妻をほとんど無視して自分が夢中なことにいっぱいいっぱいになっているのもまさにボヴァリー夫人的だし、彼自身のつまらなさや凡庸さ、妻の働きを無視する感じはまさにボヴァリー夫人の夫シャルルの悪いところを煎じ詰めたようなキャラクターにもなっているとも言える。
本作で一番皮肉効かせてたのは、ボヴァリー夫人を下地にリメイクして描き直せば、ボヴァリー夫人ってこの主人公みたいなもんだとも言えるよねーとか、田舎の悪いところってこのキモさと通ずるものがあるよねーとしたところだと思う。個人的に『ボヴァリー夫人』を一般に言われるような(=作中でも主人公が評論していたような方向性)のものとはあんまり思えないので、こうした捉え方を本作で示したのに好感が持てた。確かにボヴァリー夫人の抱える息苦しさみたいなのは要所要所で分かりはするけれど、それにしたってやってることは果てしなくバタ臭いというか、自己中心的すぎるというか、周囲に踊らされてるだけというか。主人公の妻が『クレーヴの奥方』のほうが私は好きって言い返しているくだりがあったけど、まさに私も日頃からそう思ってるので、ですよね!!!って感じでもあった。あと、主人公がボヴァリー夫人にやけに踏み込んで憧れてるとさえ言えるのと、作中のストーカー的振る舞いとが合体して、彼が『ボヴァリー夫人』に熱を上げてる様子すら気持ちの悪いものにしているのがなかなか本作のすごいところである。普通、他人が何を好きでも構いやしないし、本人と趣味は切り分けられるものなのだし、そういうふうに距離取っておくものだとも思うけど、あえて観客にその敷居を越えさせて気味悪がらせるというキワドい悪趣味さがあるというか。それこそまた主人公がしていた現実と物語の混同をまた形を変えてさせるもの、しかもどうしようもない偏見と言えるものを演じさせるものにもなりかねないことをさせるというか。そういう形にならざるを得ないようなことになってる仕組みの部分が本作で一番面白かったところかもしれない。

本編内容は主人公がある種のミスリードのようにジェマの周囲の出来事を無理矢理『ボヴァリー夫人』と重ねているけれど(とはいえ、視聴者的にはというか少なくとも私は、その彼の勝手な眼差しのほうが勝るので、彼と違って彼女の人生に勝手に物語を投影して観てはいなかったのたけれども)、そういった彼のまなざしを無視すれば、そこにはただあくまで彼女の人生があるだけである。不倫も過去の恋も家庭も生活も何もかも全て彼女の人生そのものでしかない。むしろ主人公の存在こそがその人生の綾をいびつにさせているわけである。かわいそうに……。
最終的に彼女は、ほとんど暴走しただけの主人公が情念を練り込むようにパン種を揉み込んで焼き上げたパンを無言で贈りつけられた上、それで喉が詰まり、あとは彼女自身の自分の人生の綾も絡まって自分と関係した男たちの乱闘騒ぎになったことでそのまま助からずに死亡ということになるわけで、なんとも言えない余韻を突きつけてくるわけである。無理矢理主人公が望んでいた死による終わりを迎えるやら、自分の人生にトドメを刺されるやらというか。なまじ、彼女自身はボヴァリー夫人とは違って夫を愛して彼と共に生きようと決意していた節があるだけになお物語の後味をゲロ風味にしているというか。そもそも彼女が夫をどう思った上で不倫していたかとか、昔の男を引きずっていたかとか、そういう彼女の人生の機微は作中で語られるはずもない個人的なものでもあるのだけれど。

主人公がパン屋というのも本作ではなかなかキモいものにしている。彼はあくまで普通にパンを作っているのだけれど、その調理過程が彼の作中の様子からどうしてもキモいものにしか見えなくなってしまうし、あからさまに性的なニュアンスを込めてパンを作るくだりもあったり、自分が作ったパンを食べるジェマにセクハラ視線を向けるくだりとか。人が何かしてるのをキモイキモイ言いたかないし、普段はそういうのも思わないけども、否が応でもそう考えさせるのが酷い作品でもあるというか。この場合、褒め言葉でそう言っているんですが。

他者を己の狭い視野でカテゴライズして自分勝手に捉えてそれわ押し付けるものではないよという話としてまとまっていたと思う。そういう意味でかなり一般的というか、世の中に転がりまくってるところに切り込むものもあったというか。


あと、本作ではノルマンディー大聖堂でのシーンもあるのだけれど、そのシーンの教会のカットがどこもやけにいい。すごくキメキメにあの大聖堂を撮れていたと思う。
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