せいか

アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台のせいかのネタバレレビュー・内容・結末

1.0

このレビューはネタバレを含みます

06/11、Amazonビデオにてサブスク視聴、字幕版。
本作は1985年にスウェーデンで実際に起こったことを下地にし、舞台を現代フランスに移したものになっている。だから本当に監獄で演劇サークル的なのを作って『ゴドーを待ちながら』をさせたら思いの外ウケて監獄外で巡回公演することになり、その最後の開幕前に囚人たちが逃亡して演出家が独壇場で語りを披露してそれもウケてというくだりがあったらしい(そして本作のエンディングでのモノローグ曰く、このくだりをさらに舞台化だかなんだかしてヨーロッパじゅうで公演されてもいるとか)。ちなみに実際の囚人たちのその後は本作監督のインタビューで触れられている(「ーー実話では、脱獄した囚人たちはどうなったのでしょうか?」のくだり以降 https://diceplus.online/feature/82)。

本作では、役者ではあるものの役者としての仕事はもう3年もないまま燻っている主人公が他の役者から押し付けられる形で監獄内で行われている更生プログラムの一環であるらしい囚人たちへの演劇指導の役割を負うことから始まる。まったく舐め腐った態度でもないけれど手の付け所のない彼らを相手に主人公はあくまでちゃんと役割をこなし、ある日、彼らにはかの有名な『ゴトーを待ちながら』かぴったりだと思いついてその稽古をつけるようになるわけである。そしてまあ劇は成功し、巡回公演をするようになり、いよいよ大舞台でとなったときに彼らに逃げられて彼の独擅場が繰り広げられて物語も終わる。

本作においてはむしろ『ゴドーを待ちながら』が仮託されているのはこの主人公自身であるというところに帰着していたと思う。そもそもこの作品を選んだのもかつて自分がそれを演じたときの写真を見てというものであったり、自分こそまさに停滞状態にあって自己中心的にもなっていた主人公こそがそこに囚われているわけで。むしろラストの独擅場は来ない囚人たちを待つという構図であるというより、いよいよ本当にゴトーを待つ登場人物そのものになった彼というものになったというか、彼が結局その役を我がものとした作品なのだと思う。作中でも最初の舞台のときに主役がボイコットしそうになったときにまさにその代役をすることになりそうな展開もあったけれど。ラストで舞台上で一人でいる彼は拍手を受けるけれど、それも別に役者として与えられたものでもなく、彼自身もこれは囚人たちへのものだと感じていたり、その透明さがちょっと切ないところでもある。現実的に考えれば、このウケによって何か仕事につなかったりしたのではないかとか思いはするけども。囚人たちひとりひとりを描いてはいるけど、彼らはあくまで周辺の登場人物でしかなくて、結局、この主人公の話としてまとめてるよなあというか。他のシーンはともかく、独擅場シーンなんかにしろあくまで彼は自分本位、俺が俺がでやってるわけではないんだけども。

もちろん、結局何を永遠に待たされているのか、希望なんていつか来てくれるのか、俺たちはいつまでこの停滞状態を監獄で続けたらいいんだという囚人たちにも重なってはいるのだけれども。彼らは公演が成功しても監獄に帰ればクソ野郎扱いに戻される。贈られた物も満足に与えてはもらえず、希望は見えない。彼らからすれば巡回公演のたびにそれを積み重ねられ、いくら鬱憤を晴らしても拭いきれない絶望感ともなり、ゆえにもはや待つことを放棄して逃げ出す選択をすることになったわけである。外の世界にいれば停滞状態ではなくなれるのだから。
作中、主人公は相手に役者であることを求め、自分が何者であるかを相手に意識させないようにしろと言うくだりがあるけれど、そんなん彼らからしたれ知ったこっちゃあるかで、あくまで囚人がこれをやっている、その俺がこれをやっているということで成り立っているわけで、そこが切り離せるものであるわけがない。役を演じてる間はあの停滞状態から少し開放されているという程度だし、この経験が自分たちにとって特別さがあるのだって並立するものにもなっている。
そもそも彼らはまさにとことん見世物やお披露目のものとして舞台に立っているようなものだし、作中の舞台の様子はまさにそういうものを強調するものだったと思う。けしてまともに『ゴドーを待ちながら』がそこにあるわけではなくて(おのおの頑張って演じてはいるのだけども)、そこに居るのは囚人である彼らでしかないというふうに描かれていたとも思う。そしてそれが許されるのも彼らがこのときに彼らを見るための見世物であるからで。本作では彼らの「演劇の舞台」がどれだけ素晴らしくてそれとして成り立っていたかというところよりも、そういうふうに捉えられるような切り取り方をしていただろう。それでいて主人公は作中で彼らはプロの役者が忘れたものを持っている云々などの発言もしていて、捉えようによってはこの発言もなかなかいびつなものを感じるものがあったりもしたり。


本作はどの役者さんもおのずとメタ的な感じというか、演じる囚人の役を演じて、しかもかの不条理劇をやるみたいなことをやるわけだけれど、そこ踏まえてもすごく演技が巧みだったと思う。本作、構成とかは至らないところが目立つところはあったと思うけれど、それを超えて画面の向こうで本当にそういう人が息づいている感じをひたすらに見せてくださっていたように思う。その見ごたえを楽しむ要素が強かったかもしれない。
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