最後に1つ残ったお饅頭を見て、
「どうぞ、どうぞ」
と譲り合い、頑固者たちは最後の1つの饅頭を決して手に取ることはなく腐らせてしまい、結局、全員が損をした…
みたいな物語である。
いや、最後は悲しみを滲ませつつも一応はハッピーエンドのような形になってたけど、現代を生きる者としては、あの倫理観や感情はよく分からないというのは正直なところよね。
ついでに言うと、お静の過剰なまでの自己犠牲の精神も、頭では理解できるんだけど、やはり感情として芯から理解することはできず。
「お前がややこしいこと言い始めるからやぞ!」
と、お静を叱りたい。
ゴールの無いマラソンだろ…。
こんな書き出しをすると否定的と捉えられてしまうかもしれないけど、とんでもないことです。
溝口健二の代表作として挙がることは少ないとはいえ、特に見せ方の面での秀逸さは、素人の自分にも十分に感じることができた。
まぁ、とにかく逃げるんだ。
そしてそれをカメラが効果的に追うんだよ。
本作でも、寄りの画は大変少なく、身体の動きや構図を使って感情が理解できるように仕組まれている。
そして、慎之助が誰に視線を送り続けているのか、擬似体験できるようなカメラワーク。
そこに言葉はいらないわけです。
今でも言葉で説明させたがる映画はたくさんありますが、「説明的だな」と思われた途端に、その言葉は物語のキャラクターが発しているものではなく、背景に透けて見える制作者の言葉になってしまうんだよね。
「溝口先生の爪の垢を煎じて飲みやがれ」
そうも言いたくなってしまう。
とりあえず、女性をおぶった時に
「羽布団みたいだぁ。」
というやつは一度使ってみたい。