イスケ

碁盤斬りのイスケのネタバレレビュー・内容・結末

碁盤斬り(2024年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

高潔な武士の誇りを持つ男が、自らの「正しさ」がすべてではないと悟るまでの物語だったのかなと。

柳田が誰よりも実直であることは、彼の振る舞いの随所から感じられ、囲碁はその象徴と言えるものでした。

弥吉のアホさも大概にせえよと言いたくなる、五十両を持ち去ったと嫌疑をかけられるシーン。「お前の目は節穴ですか」のベストタイミングはここですよ。

冷静さを失ってまで怒りまくる柳田の様子は、「いつでも正しくありたい」という強い信念を持っていたからこその態度だったと思うのです。

急に切腹をしようとする突飛にも見える行動は、現代人の私には心からピンとくることはありません。
しかし、極限まで清廉潔白であろうとする人間にとっては、その汚名が決して耐えることのできないものだったと想像することはできます。

そもそも彦根藩を出た際も盗難を疑われたわけで、状況としては五十両事件と同じですから、柳田は尊厳を深く傷つけられたことでしょう。
頑なに藩に戻ることを拒んだ理由について、ごちゃごちゃと理由を述べてはいましたが、高潔さを汚された場所に今さら戻りたくはなかったのが本音ではないでしょうか。


斎藤工演じる柴田は見惚れるほどのクズでした。
そんなクズから、自らが正しいと考える行いのせいで苦しむ者がいたことを柳田は知り、結果的には嘘だった「藩を追われた人間のために掛け軸を売った」という言葉にヒントを得ることになります。

柴田には「何が正しい行いなのか」ということは見えてはいたのでしょうね。
そして、それは柳田には見えていなかったものでもある。

自らの正義や信念が強ければ強いほど、その殻の中に閉じこもり凝り固まってしまうばかりに、視野を狭める副作用も顕在化します。
柴田には高潔さが欠けており、柳田には柔軟性が欠けていました。

どこまでいっても人と人は影響し合うことで変わっていける。
源兵衛を変えたのは柳田で、その柳田を変えたのは最も「正しくない」はずの男の中に存在した「正しさ」だったわけですから。
碁盤の白と黒のたった一手で局面が変わるように、柳田は柴田の一言に気づきを与えられたんですね。


そのあと柳田は源兵衛の屋敷へふたりの首を取りに出向きます。
弥吉から何も聞かされておらず、急に自分の首を取られることが決定する源兵衛の「弥吉……?」には声出ましたw

碁盤は柳田にとって「正しさ」の象徴だったのだろうな。
武士の誇りは柔軟さと相反するもの。自分の信念が仲間たちを苦しめていることを知り、これまでの正しさから決別した。そんなシーンだったのだと思います。


ラストでは、お絹と戦犯弥吉が結ばれるというハッピーエンドらしき結末へ向かう展開に何ともモヤモヤw
でもこのシーンが柳田の変化を表しているのだから、まぁやむなしか。

おそらくこれまでの柳田であれば、自らを疑ったところに娘を嫁がせるなどということはしなかったでしょう。

娘を吉原に送り復讐の旅に出たのは、娘よりも武士の誇りを優先したからに他ならないと思います。
しかし、ここでは誇りよりも娘の幸せという現代的な選択をとるわけです。
一方で、源兵衛と対局の続きをしなかったのは、本心では許していないことの表れではないかと感じました。

娘の幸せだけを想い、最後にそれを見届けた。
そのことと疑った人間たちを許すこととは別だったのだろうな。彦根藩に戻らないことも含めて。


ちなみに、お絹を吉原に送る際の葛藤はもう少し描いて欲しかったなぁ。
武士とはそういうものだと言われればそうなのでしょうが、そこの心の揺れをまったく感じなかったばかりに、走れメロス的なリミットによる緊迫感はほとんど感じずでした。

それから、全編通して時代劇らしく分かりやすいエンタメを追求しているのかと思いきや、ラストに考察勢を騒つかせる展開を持ってきてしまうのは、バランスとして微妙だなと個人的に。
イスケ

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