グラッデン

アイヒマン・ショー/歴史を写した男たちのグラッデンのレビュー・感想・評価

4.0
第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人絶滅計画(ホロコースト)を推進した責任者であるアドルフ・アイヒマンの裁判について、撮影・放送を手がけたテレビマンたちの視点から描いた作品。

強制収容所で働くゾンダーコマンドの視点からホロコーストを描いた『サウルの息子』の記憶も新しい中での鑑賞したことから、異なる作品の中でも、歴史における連続性を意識して見ていました。

『サウルの息子』では、鑑賞者が独特のアプローチでサウルの視点を共有することにより、強制収容所におけるホロコーストの風景を疑似体験しました。正直、(サウルがそうであったように)誰もが目を覆いたくなる、直視したくない光景です。

本作『アイヒマン・ショー』では、そうしたホロコーストの現実が、アイヒマンの裁判を通じて、映像によって世界に知らしめられることになります。登場人物たちは、その意義を強調し、撮影に強い意志をもって臨みます。上記の鑑賞を経て見たこともあり、この部分には強く共感できました。

本作の序盤は、裁判に至るまでの悪戦苦闘を上記のような強い意志の表れを交えながら描いておりますが、本題はやはり裁判での描写となりますし、テレビマンの視点だからこそ描けた内容だったと思います。

印象的だったのは、中継を仕切る監督は、裁判が進むに連れて、アイヒマンの表情や仕草に固執していたことです。それは、アイヒマンもまた普通の人間であり、誰でもファシストになり得るからだと思っていたからです。しかし、生き延びた人たちの証言を聞いても、ホロコーストの映像を見ても、アイヒマンは対象を直視し、表情を変えないのである。傍聴者が目を覆い、撮影者が倒れこむほどの恐ろしい事実が明らかになっているのにだ。

終盤、監督はある言葉を放つ。その意味を理解できるようで、理解できない自分がいます。元々、明確な答えはありませんが、アイヒマンとは何者だったのか、そして彼にとってホロコーストとは何であったのかを改めて考えさせられる作品でした。