あやか

二重生活のあやかのネタバレレビュー・内容・結末

二重生活(2016年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

なぜ生きるのか、なぜ自分はあるのか。
その問いに対して他人を尾行して生活を見ることによって自分にとってのある、生きるを模索しようとする。
最初はどこに向かっているんだろう、どう終わるんだろうってまったく予測もつかなかった。けど最後に全部が収まった感じがした。
理由なき尾行は対象者と自分を重ねて対象者を生きること、その立場になること。そしてそうしたら自ずと対象者の秘密や今まで見えていた部分だけでない部分を見ることになる。その秘密は対象者によって直接伝えられたのものではないので共有ではない。共有ではなくそれを自分も生きるということになる。
最後の珠の「人間が人間にとってかけがえのない存在になる唯一の道が尾行、それは他人の立場に身を置くこと、他人の人生や情熱、意思を知ること」人間が人間にとって必要となる、や息苦しい世界の中で秘密は息抜きの場になる、みたいな語りと「あなたが私をどう思っていたのか、私をどうしようとしていたのか、あなたにとって私はなんだったのか、私は永遠に知らない」みたいな文章が最後に全部を収めた感じ。
結局尾行して秘密を生きたとしても対象者にとっての秘密の存在、秘密となる人間の存在、人生や情熱というのは結局尾行者にはわからない。だからあくまでも哲学的尾行は「考察」にしかならない。対象者の秘密や生活を尾行を通して知ってもそれは自分がなぜ生きるのかなぜあるのか、の答えにはならない。to be or not to be、生きるか死ぬか とこれはまったく関係のないことなのだ。
でも、その秘密がその人を苦しみから少しでも軽くしてくれるものならばその秘密を取り上げてしまうのはむごい。だから対象者とは接触してはならない、秘密を知っていることを知られてはならない。隣人の石坂がそうであったように、珠も卓也に尾行をしていることを告げた時は苦しそうだった。秘密はその人にとって本当に休息の場となり得るからだと思った。
なぜ私はあるのか。どこか社会的な社会に生きるの人間としてみたいな第三者的要素が入ってくるのかもしれない。他の人の人生を生きることで人間がかけがえのない存在になるのなら私も他人にとってその対象なのかもしれない、みたいな。
なんか最後は腑に落ちてわかった気になっているけどもしかしたらこの映画はもっと深いことを言っているのかもしれない。
あと、門脇麦さんが珠を本当に生きているようだった。

「本当の話」ソフィカル
あやか

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