あやか

流浪の月のあやかのネタバレレビュー・内容・結末

流浪の月(2022年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

明日から1週間始められる気力がない、、

「いろんな恋愛対象・思考の人がいるよね」「相手を理解する」とか以前に
世界は本当に自分が知らないことだらけ、って思った。
だから学び続けないといけないし、
相手がwhat they’re going through しているか、何かあるってことを忘れずに接しないと“いけない”、っていうか、そうしないと“人を傷つける”んだって思った。

横浜流星の最初の帰宅シーンで既に「あ、モラハラ男」ってちょっと危ない感じがすぐわかったし、
すずちゃんの行為中の虚無の目、
文がさらさに公園で声かけるシーンの最後の画角パターン(文の足下から「大丈夫?」と言う松坂桃李の顔正面アップの画)の松坂桃李、
言葉の力、演技の力ってすごいなって思った。
松坂桃李のあの最後の画角パターンのシーンまでは純粋に心配心で声かけたと思ってたけど、
あのシーンを見た瞬間、「あ、文が一番最初に声をかけた本当の動機は文にしかわからないし、もしかしたらロリコン起因の感情があったのかもしれない」ってすごく力強く感じたんだ。(それまではなぜかロリコン要素/動機を感じなかった)

いろんな「問題」が詰め込まれすぎてて、、でも全部“繋がってる”ほどではないけど、同じ文脈の中で発生するものが多くて、、社会はそれら一つ一つにちゃんと向き合っていかないといけないと感じた。
さらさが夜中中2の男子に触られていたことを警察で言えなかったこと(セカンドレイプ)、
ネットの文の写真(ネットリンチ)、
家にポストのビラと落書き(社会による‘正義‘の振りかざし)
女児は‘洗脳されている’/文が女児を‘洗脳している’の決めつけ報道(大人/子供・犯人(加害者)/被害者の立場に起因するイメージの拡散)

映画として「すべて」を言わないのが「いいなあ」って思った。
文のお母さんも何か事情がありそうだけど深くストーリーは語られない。もしかしたらこの「ストーリーがあるかも」って私が思ってるのも私の「見た目からの偏見」や、「自分が理解できるように辻褄を合わせるため」に‘何か事情があって欲しい’って無意識に思っているからかもしれない。
人は見たいことしか見えないし、
自分が見たことのある絵を作り出そうと無意識に辻褄を合わせようと思考を進めたり停止したりすることもある
自分が知っていること/理解でいることへ「当てはめ」るんじゃなくて「それはそれ」として新しく頭の中にスペースを作っていきたいね
あやか

あやか