カメチー

二重生活のカメチーのネタバレレビュー・内容・結末

二重生活(2016年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

何気なく見始めたのですが、鑑賞後には、想像していなかった哲学的問いに直面させられました。

それはつまり、この映画の主人公が抱えていた問いであるところの「なぜ生きるのか?」ないしは、「人との関わりの中で自分はどう生きていくのか?」という問いです。

主人公は論文制作のために「意味のない尾行」を慣行する。世間的には「幸せな人生」を手にしたピラミッド上位層に君臨する人間たちの、決して表面上には浮かび上がらない「幸福でない」一面。主人公は、次第に尾行にのめり込み、対象者に自分を重ね合わせ、忘我の境地に陥っていく。対象者が家族に秘密を持っているように、主人公も彼氏に対して尾行のことを打ち明けることができないまま、気づけば二人の関係は壊れていく。(映画では、その主人公の「忘我」と「自我」の境目で、彼氏とのやりとりがうまく機能していました。)

リアルな人間関係を犠牲にしてもなお、主人公が求めてやまなかった「生きるとは何なのか?」という問い。

その答えは、映画の最後に集約される。
「他人からみてどんなに幸せに見える人であったとしても、完璧に幸せなだけの人生なんてない。人は誰でも他人には説明し難い苦しみを、大なり小なり抱えながら生きているモノだ。そんな日常の苦しみを、少しだけ和らげるために誰もが持っているもの、それが秘密なのだ。(言葉はかなりうろ覚えで、自分なりに解釈したもの)」

つまり、どんなに親しい間柄であったとしても、他人に自分を完全にさらけ出し理解してもらうことは不可能であるということ。生きていくには辛くて苦しいこともあるけど、みんなそれぞれにそんな思いを抱えながら生きているんだよ。ということだと解釈しました。



俳優陣の門脇麦、菅田将暉、リリー・フランキーの「役を演じている」感の全くない演技は圧巻でした。あまりに自然そのもので、自分があたかも彼女彼らの目線で生活しているような心地になりました。あと、門脇麦さん、役によってめちゃんこ化けていて驚きました。化粧気が全くないのに美しかった。