人は、大義のためなら限りなく暴走できる。
人は、大義であるなら限りなく助長できる。
健康のため、調和のため、人類のため。大人はそう言って我々に枷を掛ける。……この物語は、そんなクソッタレな大人たちに対して中指を立てる、子供たちの物語。
本作には原作がある。伊藤計劃が出した完全オリジナル長編小説の2作目、最期の作品。これを出して次の年にこの世を去った彼は、何を思い、この物語を書いたのだろうか。怪我や病気とは無縁の、彼にとっては理想であるはずの世界を、彼は最悪の世界として描き、世に送り出し、そして死んでいった。
『今から語るのは 敗残者の物語 脱走者の物語 つまり私』この言葉が、今からこの世界から脱走しようとする伊藤計劃の言葉だとしたら、この物語が、彼ができる精一杯の悪あがきなのだとしたら、この世界はなんと残酷で無慈悲なのだろう。
一切怪我や病気をしない世界は幸福だろうか。一切の迷いがない世界は幸福だろうか。一切の自由を奪い、種の存続のために生かされる個は幸福だろうか。答えは断じて否である。しかし、周りが幸せそうにしている中で、自分だけが大病を患い、余命幾ばくもないと宣告された時、同じ答えを導けるだろうか。自らの死を受け入れるのに、どれほどの精神を犠牲にすれば良いのだろうか。今のところ健康な私には想像もつかない。
この世界は平等ではない。死は平等に訪れるが、その仔細は決して平等ではない。……この物語は、そんなクソッタレな世界に対して中指を立てる、伊藤計劃の物語。