苦しみの無い世界という意味ではハーモニーも作中の管理された社会も同じだろう。ただ、ハーモニーは意識が消える事で喜怒哀楽が消える。特に喜と楽が消えるという意味で違いが出てるように一見は見える。
然しながら、完全にコントロールされた社会の中で何処まで本当の感情を顕に生きていけるか。何処まで個性を残せるかというのは大きな問題だ。極論だと二つとも本質は同じでは無いだろうかと思う。
少し話が逸れるが、苦しみというのは何のためにあるのだろうか。何の苦労もない人生から真に生活を見出すことは出来るのだろうか。
こういったことを考えていると、ハーモニー、バランスのとれた新世界とは本当に生きていると言えるのだろうか。
管理された社会、全てが抑圧された台本通りの人生は生きていると言えるのだろうか。双方とも私個人としては否定したい。
私は、恵まれた環境、恵まれた時代に生まれたからこそ本当の痛みを知らない。だけど、同時に生き物として生まれたのだから、元から備わっていたものだから切り離していいものでも切り離せるものでもない。苦しみとは必ず向き合っていかないといけないものだと私は思う。映画を見てそう思った。